その日、札幌からの帰りの飛行機は遅れました。千歳空港で長時間待機の後、理由がよくわからない離陸待ちがあってから、飛行機は羽田に向かって離陸しました。羽田到着後、ロビーに人だかりがあり、たくさんの人がテレビに釘付けになっていました。テレビの画面には、ダイハードの映像が映っており、いまさらなぜ、こんな映画にみんなが釘付けになっているんだろう...と不思議に思いながら、帰りのバスに急いだ私がいました。
帰宅後、同じ映像がニュースの画面に映っていました。映画ではない、セスナがビルに突っ込んでいる映像でした。ビルの壁面から上がる煙。何という事故と思っている私に、アナウンサーの切迫した声が、信じられないことにジャンボジェットの衝突を報じておりました。やがてそのビルは、ものすごい黒煙とともに、崩落していきました。青い空に、銀色のキラキラした破片をまき散らしながら、ビルは崩れていきました。そして、それほどの時間も空けず、もう一つのビルも....
5年前のこの日、米国で信じられない事件がありました。大きなビルが崩落する想像を絶するテロであり、状況の理解出来ない我々に、切迫した世界情勢を見せつけてくれた事件でした。サリンの撒かれた地下鉄におびえていた我々に、それ以上の恐怖があることを教えてくれた事件でした。
あれから5年。我々は少しは賢くなれたのか、我々は少しはやさしくなれたのか、考えざるを得ません。
世界を変えるために、まずは日本を変えるというささやかな夢を実現するため、一歩一歩あゆみを重ねるしかないことを、今更ながらにかみしめる一夜です。あの事件でお亡くなりになったすべての方々、英雄的活動の結果、その尊い志を奪われたすべての方々のご冥福をお祈りいたします。
合掌。