またこの日がやってきました。震災後今年で6回目の3月11日となります。
被災地の復興も徐々に進み、さまざまな対策が取られた新しい街作りが始まっています。防潮堤を築くのは基本でしょうが、その考え方も様々です。海が見えない大きな壁を作る街もあれば、海岸沿いは住宅の建設を禁止し、商業地帯のみを設置する街もあります。再び襲うかも知れない津波に対し、積極的な対策を講じようとする姿勢は日本中が見習うべきものと思えます。
その反面、原発の影響で帰宅困難地域となった住民の避難は相変わらず続いています。疎開先での子供のいじめも問題なるなど、自分の家に帰れない人々の困難は解決されていません。当事者以外はすっかり記憶を風化させていますが、無理解から始まるさまざまな問題も相変わらず山積したままです。
原発の処理は遅々として進んでいませんが、人々の記憶からは少しずつ消えていきます。国としてはなかったこととして放射線の問題がうやむやのまま帰宅を勧め始めていますし、原発の必要性を訴えるコマーシャルも始まりました。あれだけ暗かった街中も何事もなかったように明るくなりましたし、ヒステリックにさえ聞こえた放射能問題も誰も語らなくなりました。こうして何事もなかったように日々は過ぎ、新たな災害が起きるまですべてが忘れ去られていくのかも知れません。
大切なことは、この教訓を全日本で活かすことです。地震大国の日本は、再び大きな地震が起きることは間違いありません。人ごととしてではなく、自分の事として未来に活かすことが大切になります。毎年この時期に言っていますが、身の回りを確認し災害に対する対策を講じましょう。最低3日間持ちこたえるだけの食料や水、薬品を用意しましょう。電気がなくても暖を取るための機器を準備し、非常用の衣服もそろえましょう。自らや家族が救われる準備をすれば、他人も救うことが可能になります。一人でも多くの人が助かれば、暮らしは再び再建できます。
来たるべき日を漫然と待つことなく、少しでも出来ることを行う。その努力は報われなくても、努力を諦めない。そういった気持ちを、もう一度持ち直すことを私自ら行いたいと思っています。