今年早くも二回目の更新です。本日からお仕事が始まった方が多いと思いますが、おたがいボチボチ始動しましょう。
さて昨年末のことですが、日産自動車の元社長であるカルロス・ゴーン被告が、極秘裏に日本を離れていることが判明しました。現在係争中事件の被告で仮釈放中の身でありながら、弁護団にもしらせず海外に逃亡し、これで日産事件の真相を争う裁判が不可能になりました。日本の司法制度を踏みにじる行為は世界のセレブであっても許されることではありませんから、今回の事件は日本の司法制度に大きな波紋を呼び起こすことになりました。
日本は民主主義国家であり、三権分立が比較的整った国といえます。お隣の国のように政治に都合の良い判決を導き出すケースは比較的少ないですし、事件の真相を国が極秘裏にねじ曲げるケースも少ないと思います。それでもゴーン被告は日本の司法制度のもとでは自分に不利な判決が出ることを恐れ、海外に逃亡しました。自らの非を認めるのではなく日本の司法制度を理由に逃亡を図り、逃亡先で自らの正当性を主張するのは犯罪者としてよくあることのように思います。ゴーン被告は複数のパスポートを持っており、基本的には弁護団が保管をしていたようですが、弁護団に渡していないパスポートを利用して海外に逃亡しています。これは明らかに犯意がある行為ですから、やはり日本の司法制度を無視しているとしか思えません。
逃亡先のレバノンと日本では犯人引き渡し協定がないため、事実上ゴーン被告は今後も日本の法の下で裁判を行うことはできないでしょう。日本の司法が世界に向けてゴーン被告の不法行為を喧伝することはありませんから、ゴーン被告が世界に向けた正当性の主張のみが世界で受け入れられることになります。日本は不公平で不正の国と喧伝されることは、日本にとって望ましいことではありませんから、日本のメディアはきちんと日本の法制度の中立性と正しさを世界に向けて積極的に発信して欲しいところです。
とはいえ今回の件で考えさせられるのは、日本のさまざまな制度の古さです。取り調べの映像記録は取られるようになっているようですが弁護士の同席は認められず、海外の人々からすると密室での不法な圧迫取調べがおこなわれているように感じられるようです。裁判までの道のりも長く、明確な指標もありません。今回のケースではPCの利用も許されていませんし、夫人との接触も禁止されていました。海外の人間からすると、人権を無視されるような監禁や監視、強要が続くのはやはり先進国の司法制度と思えないようです。
日本は法治国家であり、公平な裁判が行われることが多いように思います。しかしその前段階の検察の取り調べは予定調和が多く、検察が描いたストーリーを認めることを強要されるという指摘もあります。こういった批判があるのは、やはり取り調べを含めて司法制度そのものが公平公正であることを自ら証明して行かざるを得ないと思います。未だに弁護士の同席が認められないのは前近代的と思われますし、自供中心の取り調べも古いといわざるを得ません。保釈金による保釈も昔の考え方であり、今の時代を考えると妥当な方法とはいえません。
日本の司法制度では保釈金によって逃亡を防ごうとしますが、これはあくまでもその金額を払うことが難しい人間には効果を発揮しますが、海外セレブのような大金持ちにはなんの実効性もありません。事実今回の海外逃亡は専門の業者が関与したようですが、ゴーン被告はその業者に今回の保釈金15億円を遙かに上回る数十億円を支払ったようです。大切なのは本人が制度に従うことを期待するのではなく、逃げることのできない、あるいは逃げても必ず足跡を追跡できるような仕組みを整えていくことのように思います。
今回のケースでは、逃亡犯の位置を確定する装置を導入逃亡防止GPS装着をゴーン被告自らが受け入れると発言していたにもかかわらず、日本の司法では前例がないということで装置の導入が見送りました。装置を付けるから監視を外し行動の自由を保証して欲しいという願いに対し、制度にないからと不自由をしいたのでは逃げることを考えてしまいます。結果としてゴーン被告の海外逃亡を許してしまったことは、日本の司法制度の問題といわざるを得ません。
こうして考えてみると、現在の司法制度は基本的に戦後に作られたものであり、ITを中心とした新しい技術や社会情勢を反映したものではないということです。御上の意志に平民は従う、という旧弊な考え、人権よりも秩序を優先するという考え、なにより既存のルールにないという古い考えを、この際すべて新しく作り替えた方が望ましいように思います。世界中の人から見ても公平公正を保たれ、自白ではなく客観的な証拠によって事実をあきらかにしていく司法の仕組みを、我々は積極的に考えるべき時期に来たと私は思っています。