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Weekly report

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 June Fifth week

 とうとう6月最後のWeekly Reportです。今年は新型コロナ騒ぎで、前半を終えてしまいました。

 武漢を起源とする新型コロナウイルスに全世界が振り回され、大混乱の2020年も半分が過ぎました。現在は米国や南半球で猛威を振るっていますが、夏の間は北半球は少し落ち着いた状況になるのかもしれません。しかし今年の秋以降は第二波の流行が懸念されますし、第一波についてもこのところ日々感染者が増えている状況を見ると落ち着いていると言うことはできないでしょう。暑さとともに流行が収まっていくことを期待しますが、どうなるかは誰にも解りません。しかしこの状況を見る限り第二波は確実に訪れますので、今からできるだけ準備が必要になるでしょう。

 マスクやアルコールを始めとして、さまざまな物品が店頭から消え狂乱の状況が生まれました。現在は大分マスクの相場が崩れ始めましたが、高値で仕入れた商品を原価割れで売ってももともとの仕入れ価格が高いため、底値は遠いように思います。1月頃はドラッグストアで使い捨てマスクは500円程度で購入できましたから、現在の1000円〜1500円でも半年前よりはかなり高いでしょう。とはいえ秋口の第二波に備えて、もう一度マスクを購入しておく必要はあると思います。

 さまざまな素材の布マスクがずいぶん普及してきましたが、安全性や効果はよくわかっていません。アベノマスクのせいでメディアも批判ができなくなったようであり、使い捨てマスクに比べた効果を明確には伝えられていません。マスクは自らの咳やくしゃみによる飛沫の拡散防止が主目的と考える、あるいは口や鼻を直接触らないためという目的ならば効果はあるように思います。しかし多くの医者が利用していないところを見ると、やはり使い捨ての方が安全性は高いと思われます。もちろん最近の廉価販売品の品質が保証されていない可能性もありますので、必ずしも使い捨てが安全とも思いません。しかし第二波の時には積極的な交換が重要と思われますので、流行前には準備が必要に思われます。

 消毒用アルコールは、未だに店頭に並びにくいように思います。しかし各地の地酒メーカーが頑張っており、値段は高いですが流通量は増えているように思いました。海潜亭は飲食物をお客様に提供するためアルコールは必須であり、これまでは食品に利用可能なパストリーゼを使ってきました。新型コロナウイルスによってパストリーゼは異常な価格になってしまいましたが、酒造メーカーが食品に使える濃度77%のアルコールを発売してくれたためどうにか消毒薬を切らす心配はなくなりました。

 これ以外にも、再度の外出自粛や非常事態に備えた準備が必要でしょう。一定量の飲食物は災害対策の観点からも必要と思いますし、常備薬などの準備も大切です。学校が再度閉鎖されることを考えると、オンライン学習教材の準備やデバイスの手配、ならびにゲームやおもちゃも必要になるのかもしれません。

 しかしこの半年の混乱が、生活に与えた影響は深刻です。長年親しまれてきた店舗やブランドもいよいよ危機的になり、閉店が始まっています。私自身昭和一桁生まれのハイカラ親父の影響で、長年フォションの紅茶を楽しんでいました。しかしフランスの本店は破綻し、会社更生法の申請をしたようです。全世界に展開する米国のHertsも、ライドシェアの普及と新型コロナウイルスの影響で、破産も申し立てています。

 日本でも老舗の旅館だけでなく、さまざまな名店が閉店を始めています。私にとって非常にショックだったのは、これまた長年親しんできた神保町のスヰートポーヅも閉店してしまったことです。昭和レトロの店舗と、昔ながらの細長い餃子を楽しむことはできなくなったのは本当に残念です。向かいにあるキッチン南海は閉店しますが、代替わりし近隣に再オープンすることがせめてもの救いかもしれません。親父と通った有楽町にあったレバンテも3月に閉店してしまったようですし、こうして街の風景は変わっていきます。街の風情を作るこういった個人商店は、さまざまな文化を生み出します。その文化を創り出すには長大な時間が必要となりますが、それを失うのはごく一瞬です。コロナが社会を激変させる影で、こういった昭和から続く文化が破壊されていくのは本当に残念なことに思えます。

 昭和の生き残りである私自身も、現役の最後で第四次産業革命に参加でき、さらに歴史的なパラダイムシフトを体験できたことは本当に衝撃でした。これまでの常識をすべて壊された感がありますし、この先のあり方をすべての人間が本当に考えなければならない時代がくるとは信じがたい思いです。皮肉なことに新型コロナウイルスはこの変化の速度を加速させていること、それによって考えるまもなく文化を失っている現在の状況を,我々はもう一度真剣に考える必要があるのかも知れません。