二月に入って、あっという間に日が過ぎていきます。
さて先週、JOC会長の森氏が、女性蔑視発言をして世界中から注目を浴びています。失言について謝罪する際も自らの非を認めるのではなく、メディアの報じ方の問題でことが大きくなっただけで、実際には特に大きな問題は起きていないという事態の重要性を理解出来ない発言を繰り返し、国民のひんしゅくを買うことになりました。
元総理であるこの人物は、昔から失言王として有名な方です。かつては「大阪は痰ツボ。金儲けだけを考えて、公共心のない汚い町」、「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国」などというとんでもないことを平気で口にしていますし、新型コロナウイルスについても、「パーティで飲食物を出さなくていいから新型コロナウイルスは便利」と発言したりと恥じず懲りず失言を繰り返します。不勉強も相当なもので、情報技術が「IT」という名称で広まった際にも「イット、イット」と連呼し自らの無知を恥もなくひけらかしていました。
80歳を超えた今でもお元気に老害をまき散らすその姿勢は、組織の長としての資質がないことを世界にアピールしているように思えます。これだけ老害を恥もなくひけらかす精神性には驚くばかりですが、こんな老人が少なからず日本の組織に未だにはびこっていることを恥じずにはいられません。
事故で動転してアクセルを踏み続け母子を殺傷した高級官僚も、自らの非を認めることなく自動車の異常を責任を逃れています。技術を管轄する機関のトップであったにもかかわらず、客観的な技術検証の結果を否定し、自らの正当性のみを主張して謝罪もしない姿勢も、森氏に通ずる精神性でしょう。
こういった老害をまき散らす老人は、ほとんどが団塊の世代の成功者です。事実上終身雇用年功序列の男性社会は、戦後生まれたようです。その中心が団塊の世代であり、戦争から復興した日本を成長させてきたのは事実です。しかしそのシステムは自らに都合のよい時代背景が根拠であり、すべてが成功者の実力であったわけではありません。時代が変わればそのシステムそのものも老朽化しますから、本当に実力のある成功者であれば新たなシステムを構築するはずです。しかしながら自らの強烈な成功体験が自分の実力と勘違いした老人は、システムがうまくいかなくなったのはそれを支える若者のせいで、その責任は若者が負うべきと開き直ります。
それでも老朽化したシステムを維持するために、若者にその特権の一部を与え続けてきたのがバブル崩壊後の日本社会でしょう。システムの瓦解を防ぐべく年功序列を上手に使い、自らに媚びる人間のみに特権を与え、刃向かったりシステムを変えようとする人間を排斥したり冷遇してきたのが成功者である団塊世代の老人たちです。上級国民とも呼ばれるように、政治家や官僚、大手企業の管理者にその多くが存在し、未だに権力を振るおうとしています。その陰でシステムに加われなかった人間を社会の底辺のように扱ってきましたし、システムを変えようとする人間をあらゆる手段で社会から排斥しようとしてきました。
しかしながら新型コロナウイルスは、その最後の旧弊化したシステムを壊しました。もはや終身雇用年功序列を信じている若者はいないでしょうが、それでもシステムを維持させようとする目論見は新型コロナウイルスによる社会変化でもろくも崩れ去りました。感染が一段落すれば今まで通りに定刻出勤、定刻後は会社のためにサービス残業、成績が出ないなら休日出勤をいとわず滅私奉公で会社につくせ、などという老人たちの戯言は見事に滅びようとしています。
老害をまき散らす老人たちは、責任を負いません。権限は自分の物で、責任は弱者が負うべきものだからです。そらに老人たちは、想像力をもちません。自らの保身や強欲が日本を世界で孤立させる、日本が世界の負け組になるという想像ができないのです。感染状況が一段落しても、自社でクラスターが発生した場合、その責任が発生すると彼らは想像できませんし、実際発生させても自分以外の実行者が悪いに決まっていると決めつけ責任を転嫁するだけなのでしょう。
老害。この言葉を我々はもう一度かみしめ、自らを戒めなければなりません。老人は若者の轍になるのが役割であり、枷になることがあってはいけません。世界の中で日本をおとしめる老害老人は、一刻も早く表舞台どころか、その劇場から閉め出されるべきなのです。