【敏信伯父 叙勲祝賀会】
長年医学界で活躍していた敏信伯父が、秋の叙勲で勲三位瑞宝十字章を受賞しました。敏信伯父、本当におめでとうございます。
その結果、久々に明るい話題で親類が集まることができました。冠婚葬祭のなかでどうしても「葬」が増えてしまい、今回のように「冠」や婚で集まれることが少なくなっています。従って和やかな雰囲気で皆様とお会い出来たことは、本当に嬉しく感じました。お集まりいただいた清子伯母、両親、敏弘叔父夫妻、敏文叔父夫妻、従姉妹の聡君、雅子君、慶子君、本当にありがとうございました。
正直その名誉の重さは、私には実感出来ません。勲章にもいろいろな種類があり、伯父のもらったのは首からかけられる勲章なので、それなりのグレードだそうです。その下の位になると、胸に留めるスタイルになるそうなので、きっとそうなのでしょう。初めて見た勲章は、私の想像よりもやはり重く重厚な雰囲気があることには驚かされました。私には一生縁はないでしょうが、それでも一度でも実物を手にとって見れたことは幸せだったのかもしれません。
しかしコンサルタントとして面白かったのは、叙勲の裏話でした。叙勲のシステムはまったく未知の世界の話なので、その審査基準や手続きの複雑さ、受賞対象者に求められる水準等が非常に興味深い話でした。また叙勲産業という産業が存在し、受賞者に対し熾烈な売り込みを行うこと、その分野が思いも寄らないところにあることが本当に面白く感じました。その中でも、叙勲の表彰状を入れる額については、本当に笑わせてもらいました。表彰状の額が、安くても3万円、高いものだと20万以上するそうです。しかし伯父は、近所の写真屋の6千円の額にしたそうです。その理由がふるっています。「飽きたら表彰状を丸めて、好きな絵でも入れた方がましじゃないか。」だそうです。その名誉にまったくこだわらない姿勢、相変わらずのユーモアに本当に笑わせてもらいました。
しかしながらこの老人、医学界の世界的権威(脊柱側弯)であるにもかかわらず、そのスピーチの軽いこと軽いこと。今年80歳になる老人が、「どうも俺は落ち着きがなくって、80歳にもなって年齢相応の落ち着きと貫禄がない。こればかりは歳をくったからいまさらどうにもならんと諦めている。そこで最近は、自分のことを老人になりきれない老人ということで、未熟児にかけて「未熟ジジイ」と呼んどる。」には、笑わせてもらいました。
しかし自分のルーツを見るとき、自分自身の未熟さと小野村家伝統の軽さ、ならびにユーモアのセンスを確認させてもらいました。自虐的笑いが好きなのは、どうも血筋のようです。私も未熟ジジイになれるよう、これからも懸命に精進しなければ...