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The Future of IT
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■ITの未来

 21世紀である。子供の頃に読んだ本では、21世紀には人型ロボットが共存し、綺麗で平和な街が描かれていた。人々の顔は何の不安もなく明るく、ゴミ一つない世界。人間はロボットに労働をまかせ、皆が平等で平和な幸せな世界のはずだった。戦争も不安も悩みも病もない世界。しかし、私が子供の頃から、人間の生活はそれほど大きく変わっていないように、一件見える。

 ところが、我々の見えない世界で、世界はちょっとずつ進化している。自律歩行する人型のロボットは少なくても、人を支援するロボットはたくさん生まれてきているのである。たとえばちょっとした組立や加工を行っている工場へ行けば、間違いなくロボットの1台や2台はいる。倉庫に行けば、ロボットが無人の倉庫を自在に走り人間の作業の手伝いをしているし、病院では重篤な患者を一瞬の油断なくつきっきりで見張っている。ほんの数年間には不可能と思われたことが、誰にも気付かれないうちに次々と実現されている。

 そのおかげで昔に比べ我々の生活は、格段に便利になっている。店先にわざわざ出かけなくても商品の発注はできるし、銀行の閉店時間やATMの場所を心配する機会も減っている。口コミに頼っていたレストランの選択についても格段に選択肢が広がったし、キップの予約も行列をしなくてすむ。つまらない会議のために出張することも減ったし、車に乗って初めてのところに向かっても道に迷わないで済む。

 これらを支えているのが、新しい世界の影武者である、IT(Information Technology:情報技術)である。産声を発したのは私が生まれた頃であるが、近年の成長はめざましいものがある。現代の日本で生活を送る限り、1日としてこの技術のお世話にならない人はいないだろう。
 この素晴らしい技術は、20世紀半ばに産声を上げた。残念ながらもともとは軍事目的であったが、それが商用展開され、みんなの生活をよくしている。この技術はまだまだ成長段階であり、これから本当の未来が来る予感がする。その想像力を正しく持てば、人類の未来は明るいはずなのである。

 しかし....

 肝心要の技術者から、近年その重要な想像力が奪われているように感じる。目先の仕事に追われ、技術者自らが、ITがもたらす未来を想像する力を失っている。自分が持つ素晴らしい力や可能性に気付かず、日々の人足仕事に追われてしまっている。これでは、昔絵本で見た「明るい未来」は到来しない。少なくとも日本からは。

 輝かしい未来を想像するためには、技術者の力が必要である。技術を知らない素人は、「頭の中で想像したことを画像にする」ことと、「実際の映像を3次元で映す」ことの、技術的難易度の差を考えることができない。技術を知る技術者は、上記の難易度の違いを認識出来るし、そのためにクリアすべき技術要件も想像出来る。しかし素人には、両方とも夢物語であり、両方とも「いつか欲しいもの」なのである。 こういった力を、「技術の距離感」と私は呼んでいる。

 日本の技術者は、「できる」「できない」論に終始してしまっている。「できない」ことを引き受けて赤字になり、納期が遅れ、顧客に迷惑をかけるよりも、「できる」ことを行って、顧客と自分の会社の両者ともが幸せになることがよい、と考えるのである。できない理由を探すことが大切であり、その理由が見つからないと「やっても意味がない」と開き直る。もちろんこれは、ある意味正しい。しかしそれが本当に、「両者とも幸せ」であればに限る。

 

 「空を飛びたい」という夢が、飛行機を生み出した。「月に行ってみたい」という夢が、ロケットを生み出した。「魚のように海中を探検したい」が、潜水艦を生み出した。そこには常に、「したい」と「ほしい」といった夢があったのである。

 

 技術を知らない者は夢を持つ。しかしそれは夢で終わる。技術を知るものは、夢を実現するための方法や手順を想像出来る。しかし夢を見ること、夢を描くことを忘れてしまっている。現在の技術者は、その夢を実現する努力をするのではなく、「今できること」に縛られ、現実に即した対応を行うことに終始してしまっているのである。それが「両者の幸せ」ということを、いつしか信じ込まされて。そしてやがて歳を取ると、現実に沿ったことを行うことが大切であり、夢を描くのが危険と行った考えが生まれてくる。若い者が描く夢を「あり得ない」「できない」「顧客が喜ばない」といった考えで否定し、新たな夢がうまれることを阻むようになる。夢は危険と思い始める。

 

 ITの未来は永遠である。しかし明日も未来であるし、100年後も未来である。つまりITの未来には、半歩先の未来と、百歩先の未来があるのである。半歩先の未来が読めれば、すこしだけ幸せになれる。他人がやったことがない新しい方式を生み出したり、技術を進化させるヒントを生むかも知れないし、ひょっとするとそれがご自分の収益に結びつくかも知れないからである。同時に百歩先の未来が読めれば、時代の寵児になれるかも知れないし、ライト兄弟のように歴史に語られる人物になれるかも知れない。行ったことは初歩的で個人的でも、何十年も先に、何百万の人がその恩恵にあずかれるかもしれない。

 ならば私は、この夢を描く糸口を皆に伝えたいと思う。かつて私の仲間は私を称して、「尻ぬぐいの人生」と言った。キャッチャー型タイプの人間なのだから、他人の尻ぬぐいが得意であり、かつそれが人生の意味であると。それならばあえて私は「尻ぬぐい」をしよう!そう、日本の尻ぬぐいを生涯の使命としようではないか!

 技術力のない私が想像する世界だから、ホントにチンケで陳腐な未来かもしれない。しかしその夢の糸口や描き方の例をご説明すれば、皆様の新たな夢を、世界を変える夢を描くヒントになるかも知れないからである。もちろん刻々と時間は流れているから、皆様の目に触れたときは、それが実現されているかも知れない。あるいはこの内容に触発され、素晴らしい夢を現実にして、大金持ちになる技術者がでるかもしれない。(そのときはビールの一杯でもおごって欲しいが...) それでも私はこの本が、皆様の夢のヒントとなれば、これに勝る喜びはない。なにせ私の生涯の使命が、「日本の尻ぬぐい」だから。

 ITの未来は、始まっているのである。