■老人大国 (2004/6/19)
今日も仕事である。土曜日返上はつらいが、電車は空いているので少し楽でうれしい。
電車の風景を見ていると、老人が目立つ。梅雨の晴れ間をねらった登山なのか、リックサックを背負って集団で乗り込んでくる。その姿をみると、老人大国である現実を認識させられる。帰りの電車でのけたたましさは、きっと女子高校生並みなのであろう。朝食なのか、数人でおにぎりを頬ばる姿も見える。大人は若者の常識のなさを嘆く前に、この現実を直視した方がいい。大声で社内通話をするのも、若者より中高年〜老人が多い気がする。(耳が遠い上、電話の仕組みを解ってないので、ついつい大声に...)
たしかに私の自宅の近所も、日中は見事なぐらい老人であふれている。昔のように公園には幼児があふれている、といったことはなく、老人の座り話の方が目立つ。スーパーも老人、近隣の書店も老人、本当に老人が多い。それに比例して、市の安全放送網による行方不明老人の通告がやたらと聞こえる。本当に老人大国である。
その老人にも、IT化の波は押し寄せている。病院で、すっかり腰の曲がった老婆が、メールを打っているのにはさすがにびっくりした。そういえば母も、先日携帯を買ってやるとさっそく友人とメールをやっていた。そういう時代なのだろう。(娘に送ってきたメールタイトルが、「ごんばんわ」になっていたのには大笑いしたが...)携帯は「らくらくホン」とかいう老人向き機種で、巨大な字ときめ細かなヘルプが売り物の機種だ。
この機種をみると、やはり老人でない技術者が考えたものだということを実感するし、老人の視線や思考と他者との違いを認識する。同時に、ITの未成熟さも。
老人に、ヘルプ画面は酷である。ヘルプからダイレクトに各種メニューを操作できるという考えは評価するが、最終的には一般の操作画面や手順になってしまうため、老人には最後の操作がわからない。これが老人である。つまりヘルプのインストラクション内容を覚えていられないのである。次はこうしなさい、といっても、その次の画面で忘れてしまうのである。これでは老人には、操作は難しい。やはりもう少しきめ細かなインストラクションと操作が必要である。
メモリの制限は理解している。だからこそ、この機種こそ磁気メディアを搭載すべきではないのか?128Mとはいわないが、32Mぐらいのメモリがあれば、相当詳細なヘルプができるだろう。もちろんそのメモリをシリーズ化し、電子マニュアルとしてさまざまな情報を発信することだって考えられる。(今日の高血圧食、お年寄りが楽しめるダイニングバー100選とか。)そうなると、液晶盤も、文庫本のように見開き2面のような形がよいのだろう。
老人がいるから、ITが発展する。障害者がいるから、ITが発展する。これが一つの事実である。ITの未来は、弱者の救済も一つの行方である。私もいつからか、この流れに乗って船をこぎ出している。
弱者を救えるIT。この行方を、私はこれからもまっすぐ眺めていきたい。