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The Future of IT
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■ねむい...(2004/7/2)

 極端なスランプである。体調も悪い。

 なにせこのところ、事務所にこもりっきりのため、思いっきり運動不足であり、酒も飲んでしまう。数年前から、翌日が仕事の時は酒を飲まなくなった。最近は週6日稼働も多かったため、ほとんど酒を飲まない日が続いていた。そのせいか、ちょっと酒を飲むと(2〜3日)すぐ体調が崩れる。肝臓が弱っているのか、指にやたらと湿疹ができるし...(酒を2〜3日で、いつもこう。歳かな..)


 で、考える。ITの発達で、昔よりずっと仕事の質(たち)が悪くなった。休日は家でごろごろ...これができるビジネスパーソンが、年々減っているのではないだろうか。

 元凶はもちろん、PCとブロードバンド。接続料が一定で、接続環境があれば、誰でもついついPCの前に向かってしまう。メールが来ればやはり見てしまうし、ついでにいろいろな調べものを...昔であれば図書館や書店に行って調べざるを得ないし、家の百科事典も腕を鍛えるのには十分に重かった。図書館や書店への行き帰りの道すがらで気分転換をしたり、買った本を持ってちょっと喫茶店で一服。こんな余裕が誰にでもあったのではないだろうか。

 デマルコではないが、この余裕が年々減っている。外出の時間がもったいない、調べたいことを探すのに時間がかかる。PCならもっと早く、もっと知りたいことを....これが、ゆとりを無くしている元凶と考える。

 この現象にゆっくりとしたブレーキをかけていたのが、私にとっては酒だった、ということに気付く。酒を飲まないため、帰宅後深夜までそのまま仕事を続けている。寝る3分前まで仕事、それが終わったら歯を磨いてトイレに行って、布団で3行本を読んで寝る。これが体や神経に良いわけがない。頭の中は未整理の情報が満載で眠りにつく。十分な肉体的な疲れがある日は幸せだが、そうでなければ夢の中で仕事が始まる。残念なことに眠りながらでも仕事はでき、たくさんのことを考え、疑似体験し、発見する。朝方トイレに行く瞬間、さまざまな思考結果がアウトプットされ、最悪の時はもう床にも戻れない...これが体に良いわけがない。

 もう一つは携帯。四六時中追い回され、逃げようと思っても留守電とメール。相手をすればするほどレスポンスはあがり、結局小さいIT環境での仕事との格闘。精神は休まらず、自分でもいつがoffかの判断がつかなくなる。

 ITの進化はこうやって人間の知的生産性を劇的に高めたかもしれないが、同時に生活における人間性をどんどん奪っている気がする。太古より、人間は肉体の維持にその多くの時間を費やしてきた。しかし大戦後、肉体の維持の問題は徐々に解決された反面、我々は知的充足度の向上に多くの時間を費やすようになっている。ところがその知的充足度の向上と人間性のバランスがとれず、多くの先進国で失調状態が増えているのではないか。その流れに思いっきりターボ(加速器)を効かせたのが、ITのような気がする。図書館や本屋で何時間も費やさなくても、瞬時に多くの情報を得ることできる。熱中すればするほど、単位時間あたりの情報抽出量は上がる。インプット情報があればあるほどプロセス速度は加速し、アウトプット欲求は増していく。そのアウトプットを行うためにさらなるインプットが、といった状況が続き、やがてゆとりを無くしていく。これが今の状況であり、ITが生み出した未来なのかも知れない。

 それどころかITは、いままで不可能だったことをいとも簡単に体験できる状況を作り出し、それをどんどん現実世界と融合させている。ゆとりの対価として未来への時間が加速され、夢物語が次々と現実になっていく。この技術がなければ、ファインディング・ニモやハリー・ポッターの世界を我々は見ることはできなかっただろう。あたかも自分が飛んでいるかのように世界を見、魚と話、深海を旅する。昔の人間はこの世界を、文字を通して、自分の頭の中に描いてきた。他人とは共有しにくい世界であり、だからこそコミュニケーションが発達した。見えないものをいかに伝えるか、といった精神作業に多くの時間を費やした。それが、文化を生んだ気がするし、その気持ちが現在の映画界(特にハリウッド)を支えている気がする。ほら、僕の描いた世界、これだよ、すごいでしょ...
 しかしこれが、文字から展開する想像力を徐々に奪っていることに気付かされるし、その見せられた世界でしか想像力がつかない、まさにオリジナリティとしての想像力が年々奪われている気がする。誰かがやらないから、俺が...が年々無くなっている。ネットを調べれば、ほら、これは誰かがやっている。俺にはもう、無理だな...ゆとりがなくなるだけでなく、精神的なゆとりもつぎつぎと失っているのである。

 同時にITは、ファインディング・ニモやハリー・ポッターの世界だけでなく、ジェイソンやスターシップトゥルーパーズの世界を作り出す。たくさんの人がオモチャのように殺され、想像を絶するあらゆる種類の邪悪な怪物や悪魔を実際に見せつける。モンスター・インクが示したように、怖いものはちょっとだけ見せるから想像力が増し、それが恐怖となって子供の行動の牽制に役立つ。しかし当たり前のようにこれでもかと見せつけられれば、それは笑いに変わってしまう。そのシーンが終われば何事もなく過ぎ、みんな元気に過ごせる。ほら、あの死んだ人、またこっちの映画でも死んでるよ、今度は首がもげたぞ...最近の子供の事件は、この辺も無関係ではないのかも知れない。殺すシーンを見ることで憎悪や憎しみが昇華され、明日はみんなでまた仲良く...といった考えができてしまっている気がする。恐怖の牽制も、ゲームによって取り除かれているし、それが引き起こす事態に対する想像力も無くしている。何もかもを見ることができる世界が、新しい世界を生み出しているのである。

 ITが築く未来を、誰もまだ見てはいない。ITがもたらす未来は、多くの学者や作家が予想する日なたよりも、華氏451のような日陰のほうが多い世の中なのかも知れない。この流れは、誰にも止めることはできないし、止めるべきではない。しかしITを知った大人は、その流れが少しでもよくなる努力を忘れてはならないと私は考える。今こそ我々ITの技術者が、想像力をもち、この流れをすこしでもよくできるよう頑張るべきなのである。気付いた人間が、変える。変わらなくても、変えようとする。その方向は一人一人にゆだねられている。だからみんなが変えようと努力をすれば、みんなが変えようと思う方向に変わる。これが世の中である。どこかの大国が自分の変えたいように変える。これは不自然である。世界中が変えようとし、そのなかで世界中が望んだように変わる。これが世の中であろう。だから我々は、ITの未来を変えなければならないのである。

 そのためには、ゆとり、が必要。時にはITを忘れ、ゆったりとした時の流れに身を任せ、精神を解き放す瞬間が必要なのかも知れない。となると、この文章を書くためにPCに向かっていること自体が、大いなる矛盾である。なんと複雑な世の中なのか.... 


 さ、現実に戻ろう。仕事仕事。はいはい、これからそのメールの返事は打ちますって、え、さっきの電話にコールバックせよ、面倒くさいなぁ... あっ、あれやり忘れている、マズイじゃん...お〜い、この件だけど・・・・・・・・・・