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■技術の壁 (2004/8/16)

  この数日、自宅のネットワークに翻弄されている。

 個人事務所は自宅の近くにあるのだが、今困っているのは自宅ネットワークである。正確に言うと、Xpに翻弄されている、という言い方が正しいのか。症状はいたって簡単、ノートPCがワークグループ上に表示されないのである。ネットワークとはつながっているし、他のPCから検索をかけてもヒットする。しかしワークグループ上に表示されないのである。物理的な支障は何もないのだが、単純に気持ちが悪い。VAIOだから...という一抹の不安はあるのだが、それでも表示されない。Windowsのレジストリ(hidden)までいじってみるが、どうにもならない。私の技術力の限界である。

 しかしこの瞬間、常に考えることがある。なぜこうも、パソコンは難しいのか。

 昨日も両親のPCを直したばかりである。片方はいまやなつかしいWindows98であり、直し方もすっかり忘れている。インタフェースもXpとは大きく違っているためl、迷うことしきり。片方はXpであるが、Netscapeの問題が頻発しており、これも整備に手間どう。技術者の端くれとしての意地はあるが知識はからっきしのため、やはり苦しむ。いっそのことIEに、と考えるが、セキュリティのもろさを考えると、Netscapeは棄てがたい。(IE なら平気でブラウザ経由でトロイの木馬が侵入してくるが、Netscapeはちゃんとハングアップしてくれる。すごいのか、すごくないのか...)
 歳をとった両親は、ボケ防止のためPCを利用している。しかし当然のことながら素人の老人であり、ちょっとしたトラブルにも右往左往。その上訳のわからないメッセージが表示されると、彼らも訳がわからないなりに対応してしまうため、結果はもう、目を覆わんばかりに悲惨な事態に。街の愉快なパソコン修理屋さん(私)の仕事が、みるみる山積していく。電話で「パソコンがつかえなくなった。はぁ...」と嘆息されると、こちらもついつい対応せざるを得なくなる。その結果、修理屋としての一日が始まり、日暮れとともに修理屋としての1日が終わる。

 やはり自説どおり、今のITは難しすぎる。自動車同様、ある程度の習熟が必要な点は認める。しかしそれ以上の手間をかけさせるのは、やはり技術的には未発達の証拠である。「自動車だってそれなりの練習が必要じゃないか」と反論される向きもあるかも知れないが、自動車の運転の仕方は練習しても、エンジンやサスペンションの整備は不要のはず。それでもそれほど故障も起きず、故障が起きた際には絶対に中途半端な技術力では手に負えない事態であり、専門家にまかせることは必定となる。ITもこれでよいのではないか。

 昔の自動車は、走るたびに故障し、それを修理出来なければ遠出はできない、といったものだと聞く。今のITは、たかがこのレベルである。修理好きな人間がもともと購入していたから、修理ができることが誇らしく感じるのかも知れない。修理の喜びもあるだろう。しかし万人に対して道具としての利便性を上げるのであれば、これではいけない。今の自動車のように、基本的には購入して数年はメンテナンスフリーとなり、素人でも十分にあつかえるようにならなければならない。それでこそ、人々の活動に役立つ道具となるのである。

 ITは人を幸福にする道具である。逆にITがあれば人が幸福なるわけではない。道具は道具であり、その道具を使いこなすのは人だからである。だからこそ道具屋は、道具が道具としての機能を果たせるよう最善の努力をすべきだし、人はその力にあわせて最適な道具を選び、幸せを追求すべきである。


 しかし、なぜ私のノートPCは表示されないのだろう....引田天功でも呼ぼうかなぁ..