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■新しい品質 (11/25/2005)

 Tiffanyが日本でWeb上のショッピングサイトを開設するとの記事が出ていた。Tiffanyといえば、ニューヨークの有名ブランド。ブランドショップが、店舗とまったく同じ商品を販売する。最近のネットショップばやりの中で特に珍しいニュースではないのだろうが、私はちょっとした違和感を覚える。

 Tiffanyを始め各種のブランドショップは、銀座や丸の内などの一等地に店舗を構えている。壮麗な雰囲気と城にも似た広い空間、一流の調度品をふんだんに使った内装で、一見の客を圧倒する。店舗面積に比して圧倒的に少ない商品と、その商品の大きさと反比例するプライスタグ、丁重かつ厳粛な店員の対応の中で、優越感を味わいつつショッピングを行う。この夢を提供しているのがブランドであり、ブランドショップの存在意義のはずである。単に所有を目指すのであれば、並行輸入の安売りでよい。しかしそれ以上の雰囲気と夢を買いに、人々は店舗を訪れ、記念となるべき商品を購入するのである。つまり商品と雰囲気という夢を提供するのが、ブランドショップではないのだろうか。

 そこでネットショップである。インターネットでTiffanyを検索すると、本体より先に並行輸入ショップの情報が並ぶ。それらの激安ショップのホームページの後で、店舗と同じ雰囲気や夢をTiffanyは提供できるのであろうか。日常の生活空間の中にあるPC画面で、際だった高級感を演出できるのであろうか?明らかに激安ショップと同じ商品を提示して、正価で買わせる価値観を演出できるのだろうか?
 またそこでは、2万円の商品と200万円の商品が同じメニューに同列に並んでいる。海外のブランド企業が日本のブランド戦略を笑うように、ここにはブランド戦略の間違いがあるのではないだろうか?(2万円と200万円の商品を同列に並べると、200万円の価値を持ったブランドではなく、2万円の価値のブランドとなってしまう。古くは日本の時計会社、近年では自動車会社が同じ失敗をしている。ベンツの軽が99万8千円で大量販売されたとき、1000万円のベンツを買おうとします?)

 もちろんここには、模造品や並行品に対するしたたかな戦略も見え隠れする。怪しいショップで真贋区別のつかない商品を購入するより、正規店で本物を、という気持ちもあるのだろう。米国本社も行っているのだから、IT化の進んだ日本でもチャレンジ、ということかもしれない。しかし私には、時期尚早に感じられてならない。並行輸入品の値引き価格以上の価値を、Tiffanyが提供できていないように感じるからである。そこには単なる物販の論理しかなく、ブランドとしてのステータスやポリシーが見えてこない。これらの価値が見せられない場合、最悪店舗の価値も同じく喪失させてしまう可能性がある。舞台セットを裏から見るように、それをまやかしと感じ、せっかくの夢が壊れてしまうのではないだろうか。

 ITの未来を考える場合、新たなブランド品のネットショップコンセプトは見えてくる。最新のテクノロジを活用すれば、今でも店舗と同じ高級感や雰囲気を、Web上で表現することは可能なのである。

 たとえば、50インチの大型ハイビジョンモニターを相手に、6.1サラウンドシステムのPC環境があったとしよう。そこにはニューヨーク本店と同じ店舗が画面内に再現されている。あなたの視線が店舗のショーウィンドウに向かうと、静かに外人の店員が歩み寄り、低い声で商品の説明をしてくれる。(不思議と白人が日本語を話しているかもしれない) 広い店舗に静かに流れる音楽と、ホールに静かに響く店員の低い声。隣には正装した夫婦が、和やかに2000万円のネックレスの商談を行っている。視線を戻すとあなたの前に、恭しく宝飾品が並べられ...
 静かな家電量販店の5.1サラウンド環境を備えた大型ハイビジョンモニタの前に座ってみればよい。海外の町並みを映したハイビジョン番組でも見れば、その意味が理解出来ずはず。映画以上にその雰囲気に飲まれている自分を、発見することができると思う。

 このような環境が家庭のPC環境で創出されれば、ネットショップのあり方は劇的に変わる。店舗と同じ夢を、家庭で提供出来る。すなわち、バーチャルリアリティの世界である。この時初めて、本当の意味でブランドショップが、まさに夢を提供するブランドショップが、Web上で存在できるのではないだろうか?そこでは、上記のような議事店舗だけでない、新たなテクノロジを利用した可能性を提示してくれるかも知れない。例えばシミュレーションシステムを使うことで、それを身につけて町中に出かける自分を見たり、10年後の自分がそれを身につけている姿を見ることができるかもしれない。そのブランド商品を利用した映画の1シーンを表示し、その主人公になりかわった自分を見るかも知れない。あるいは10年間使用してエージングされた、お気に入りのカバンの姿を確認できるかもしれない。ひょっとすると、自分の孫が、自分の買った指輪をしている姿すらみることができるのである。これが、ITの未来である。


 一方、このTiffanyのホームページは、開発者としての我々にも新たな課題を提示する。

 品質には、当たり前品質(その商品が正規の機能を発揮するために、最低限具備すべき品質)と前向き品質(その商品の魅力を高める品質。一般に付加価値)がある。我々IT(情報技術)に携わる人間は、その両者を具備した製品やソフトウェアを提供しなければならない。しかしこれまでの情報技術の世界での品質管理は、もっぱら当たり前品質について言及と研究がなされてきた。それにもかかわらず、その当たり前品質の維持すら難しいのが、ITの世界なのである。

 高級ブランド品を売るホームページには、店舗と同じ夢を提供する高級感が演出されるべきである。その高級感こそ、前向き品質の世界である。しかしこの難しさは、「定義」と「測定」、ならびにその「評価」にある。そもそもブランドショップの高級感とは、いったい何だろう?ドンキホーテとTiffanyの店舗では、あきらかに高級感は異なることは、誰もに異論はあるまい。デパートの一階のブランドショップと、階上のバッグ売り場の違いも理解されると思う。しかしドンキホーテとデパート階上のバッグ売り場は、什器の投資額や店員の質にそれほど極端な違いがあるわけではない。それでも明らかに、高級感は異なるはずである。となると、この高級感とは何か、この難しさが我々に迫るのである。

 高級感は夢をうむ。それらの高級感は、演出されたものである。上手に演出されれば、誰もが気圧される(けおされる)ぐらいのそれらを味わうことが出来る。しかしそれらを作り込むとき、何を持ってそれらを定義し、測定するのか、その進捗をどのように管理するのか、何をもって高級感が演出されたかを測定評価する具体的技術を、現在の我々は持たないのである。

 テクノロジーの進歩ととにも、未だ実現できない当たり前品質も、徐々にITの世界でも具備されるであろう。しかしその後確実に、前向き品質対する新たな戦いが始まるのである。我々は再度品質を考え、その確実に来るべき新たな戦いの準備を始めなければならないのかも知れない。