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 February Fourth week

 この週末は所用があったため、久しぶりに仕事抜きで関西に訪れました。

 メディアでも再三紹介されていますが、ちょうど春節(旧正月)にかかる週末のため、大阪、兵庫、京都とも中国人を中心とした外国人で一杯でした。驚いたのは明石でも外国人の姿が多く見られ、本当に日本の隅々まで観光のチャンスがあることを思い知らされました。

 明石は学生時代を過ごした町ですが、現在は再開発の真っ最中でした。以前はJRと山陽電鉄の駅が離れていましたが、1991年に高架化が行われJRの隣に移動され、駅の跡地はバスロータリーになっていました。旧山陽電鉄駅の前にはダイエーの大型店舗があったのですが、ダイエー破綻後空きビルになっており、近隣のアーケードや商店街も老朽化が進んでいたため、今回の再開発となったようです。

 明石は子午線や明石大橋、明石城址公園などがありますが、正直観光ポイントは少ないといえます。それでも観光客を集めてきたのは、やはり明石焼き(タコ焼き)のおかげかもしれません。地元では玉子焼きとよびますが、いわゆる大阪のタコ焼きと異なり非常に柔らかいのが特徴です。また基本的にソース、ノリ、かつお節は使わず、出汁に浸して食べます。もっとも本当の地元民は、ソースをつけた上で出汁につけて食べるという、多くの方には信じがたい食べ方をしますが。もともと明石はタイの養殖が盛んな町であり、そのエサに卵の白身を使ったそうです。逆に常に黄身が余るため、明石でよく取れるタコと組み合わせた料理がいわゆる明石焼きであり、玉子焼きという名前もここから来ています。今回も街中を歩くと、多くの玉子焼き屋の前に行列ができていました。

 特に多くの玉子焼き屋が集まっているのが、明石の台所である「魚の棚」商店街です。明石では、漁を午前中に行うため、海産物が昼頃に市場に並びます。明石では「昼網」とよびますが、それからが「魚の棚」にある数多くの魚屋の商売が本格的に始まります。私が住んでいた35年ほど前は、「魚の棚」は生活市場でした。生活雑貨と魚屋、肉屋、総菜屋が数多く軒を並べ、市民の買い物で非常に活気がありました。日曜日こそ観光客らしき人を見ることはありましたが、普段は日常の買い物を楽しむ客がほとんどでした。

 しかしながら先日訪れてみると、古くからある店はやはりそのシャッターを閉じているところが多く、開いている店は観光客相手の飲食業や食べ歩きの店が大半になっていました。玉子焼きだけでは十分に食欲を満たせないでしょうから、そういった観光客が食べ歩きを出来るようなフライや串に刺した海産物などが数多く売られており、そこに観光客が集まっている姿が見られました。反対に日常の買い物をする市民の姿はあまり見られず、そういった客は郊外の大型スーパーに集まっていくように思われました。

 これと同じ風景が、京都の錦市場のように思われます。四職市場は市民生活を支える市場ではなく、明らかに観光市場として機能しており、訪れる客の大半は観光客のように思えます。逆に観光客が望むような日本の生活と密着した土産物が数多く売られており、海外の人間にも非常に魅力的な町になっています。反面どこに並ぶ商品も単価が高く、地元の人間が利用する店はほんの一部になっているように思われます。日曜日には錦市場も訪れましたが歩けないぐらいの混雑ぶりであり、その大半が外国人観光客でした。観光名所としては非常によくできた町といえます。

 それと同様の様相を示しているのが明石の「魚の棚」ですが、まだまだ中途半端な感がぬぐえず、果たして外国人客を継続的に呼び込める町になるかは大きな疑問が残ります。下手をすれば観光客も地元民も利用しない市場となり、やがてはシャッター商店街になる可能性も秘めているように私には思えました。逆に駅前の再開発は市民のためになるのでしょうが、関東近隣の急行停車駅のように四角い高層ビルとこぎれいなチェーンのショップが並ぶ、特色のない街になってしまう可能性も高いように感じます。

 このように、観光と市民生活を両立させた街作りは、非常に難しいのでしょう。安全で快適な街を志向すると、どこも似通った街になってしまいますし、便利であっても特徴はなくなる可能性が高まります。そこに中途半端に観光名所を作っても、その名所が十分にサービスを提供出来なければ、やがては廃れてしまう可能性があります。チェーンショップがならぶ商店街は魅力的とはいえないでしょうし、一時は客を集めてもやがてはネットショップなどに負けることは間違いないように思われます。

 京都の錦市場が強いのは、周りに旧所名跡が数多くあるからであり、旅行の一部として庶民体験を提供する場として機能しているからと思います。各地の温泉がそれなりに客を集めるのも同様であり、廃れない温泉は錦市場同様日本の庶民体験を提供する機会があるからと思うのです。海潜亭のある熱川は豊かな温泉がありますが、庶民体験を提供する場がないことから急速に廃れているように思われますし、今回の明石は逆に庶民体験しか提供出来ないところに弱さがあるように思えるのです。

 まさに旧所名跡というハードと、庶民体験というソフトを上手に組み合わせた街が観光を呼び込めるのであり、ハード、ソフトのどちらかに偏りがあったり、組み合わせに問題があると継続的な観光は呼び込めない可能性が高いように思われます。東京は秋葉原や新宿・渋谷のように、ハードとソフトが高次元に結び合ったサービスを提供出来ていますし、それが世界中から観光客を集める東京の強みのように思われます。

 2020年に向けて、数多くの街が観光客の増加を期待しているでしょうし、そのための準備が日本中で始まろうとしています。街の持つハード的要素、ソフト的要素をきちんと分析し、何をどのように強めていくのか、そのために何をどう変えるのかをきちんと考えていかなければ、街の投じた多大な投資がその後の大きな負債となってしまうことを忘れてはなりませんし、その具体的な行動と確実な計画立案が今後ますます重要になるように思えます。今回の明石の再開発と「魚の棚」の今後は、日本の地方都市の産業と観光のあり方を占う一つの例になるように私には思えました。