早いもので今年も半年を過ぎ、毎年訪れるこの日を迎えてしまいました。
この日とは、世の中のごくまれな人(1/1460人)以外は皆様にも毎年一度は確実に訪れる日、そう、誕生日です。残念ながら順調に馬齢を食んでおり、棺桶の後ろ姿が見えてきたように思います。人生わずか50年を遙かに超えた身には、企業人としての老齢に入ったのでしょうが、個人的には未だに若造でなにもできていない感が強い日々です。
20代の頃は、自分がこの歳を迎えることを考えることすらありませんでした。新人にとってはおじいちゃんに近い世代であり、会社でなにもせずのんびりハンコを押して、夜は気楽に銀座に繰り出すクソジジイどもと思っていたような気がします。若かりし頃は日々押しつぶされそうな現実の重みに必死に対抗し、刹那を重ねて生きながらえてきました。さまざまな環境の変化に翻弄され、考えてみれば転職とリストラを繰り返し、なんとか命を保って30歳を迎えたのが遠い夢のように思えます。
とはいえ30歳になった時には、仕事もなく不安と焦りを感じた日々もありました。唯一の楽しみは開店直後の渋谷のタワーレコードやHMVに向かいJAZZやFUSIONのCDを探すことであり、1〜2枚のCDを手に渋谷から魚籃坂へ向かうバスの車窓からみえるオフィスやビジネスマンの姿を眺めていたような気がします。当時は仕事もない小さなワンルームの一室で、日暮れまでただただCDを聞いていたこともありました。毎日無為に過ぎる日々を焦り、明日自分はいなくなってしまうのではないか、という漠然とした不安と闘っていたように思います。
仕事の依頼が来だしてからは、ただただ忙しい毎日でした。週を4日と3日の二つにわけて、全国と東京を軸に仕事をしまくっていました。当時はほとんど寝なくても大丈夫でしたし、どれだけ仕事をしても必ず晩には1〜2軒の飲み屋を経由せずには帰ることはありませんでした。30代は、ただただ仕事をしてきた気がしますが、いろいろな人から「生き急いでいる」と警告された日々でもありました。「あんたは野辺に咲く花の存在にも気づかないだろう」と忠告されても、その意味も文字通りにしか理解できない自分がいました。長年の疑問であったこの有り難い言葉の意味に気づけたのが、40歳前だったように思います。そこから少しずつ生活を変え、年に何度かは長い休暇をとるようにしました。目先の仕事だけでなく、ビジネスそのものについてきちんと勉強を始めたのもこの頃ですし、新たな夢をもって会社も設立しました。
40歳を過ぎてからは、人間関係で大きなトラブルがあったり、沈没寸前まで傾いた会社をどうにか軌道に乗せたりと、違った意味で忙しい日々を送ったように思います。自分一人では何も出来ないことを痛感しましたし、だからこそ自分はよりしっかりしなければと思うことが多くなった日々でした。ちょっと軌道に乗ったと思えば今度はリーマンショックで沈みかける企業経営のなかで、多くの人々と出会っては別れました。人とのすれ違いが人生そのものと思える日々が続きましたし、その中で自分の本分は何かをもずいぶん考えさせられました。いつまでも若い、と思っていた体に不調が続きだしたのもこのころでしたし、ずいぶん精密検査も受けさせられました。薬嫌いであった自分が信じられないほど大量の薬を飲み出したのもこの頃ですし、精神・肉体ともに大きな変化があったように思います。
そして50歳。日本を大地震と津波が襲いかかりました。多くの方が命を失い、家族を失いました。無策と怠慢のつけは人々に住んでいる場所に戻ることも禁じましたし、未だにふるさとに戻ることの出来ない人々が数多く残っています。仮設住宅を終の住まいとせざるを得ない老人もいますし、その状況を大きく変えることが出来ないぐらい、政治と経済の微力さを感じる日々が続きました。無情をいうことを改めて思いましたし、生きているうちにすべきことをすべきという思いが強まった数年だったように思います。私自身、忘れていた夢を実現すべく動きだし、今は熱川にその夢を少しづつかなえ始めています。そこで知った自然の偉大さを肌で感じつつ、これからの日々をどう過ごすべきかを真剣に考えるきっかけとなりました。そしてビジネスパーソンとしての自分の最盛期は確実に終わりましたし、職業人としての幕引きの時期もそう遠くないことを感じています。
そして今年。不思議なことに、コンサルタントとしての集大成のような仕事を受注し、講座の傍ら日々コンセプトメーキングの日々を送っています。いまさらこの年齢で全く新しいビジネスモデルを一人でデザインできる機会が到来するとは思ってもいませんでしたし、その充実感と疲労感はこれまでになかったものかもしれません。さらにその報酬が微々たるものであることが、これまで生かしていただいたビジネス社会への恩返しができている気持ちを強めています。すこしでもよいモデルをつくることで多くの方が救われ、生計を営んでいけるよう本気で頑張らなければいけないと感じています。
ビジネスパーソンとしての残り時間は、それほどないのかもしれません。だからこそ、ロウソクの最後のゆらめきを本気で起こしたいと考えています。そしてその明るさが、後に続く若者の燈台に代わりになれるのであれば、これほど幸せなビジネス人生はないのかもしれません。
Happy Birthday!