二月は早くも三回目の更新です。
年齢を感じざるを得ませんが、先日私の母が緊急入院することになり、その対応でちょっとバタバタしてしまいました。有り難いことに両親とも85歳を超える年齢で健在なのですが、やはりいろいろと健康上の問題があり、その都度何らかの対応が必要になります。母はペースメーカーを入れているのですが、今回は頻脈が発生してしまい、ペースメーカーの故障を疑っての入院となりました。しかし原因は心臓そのもののようであり、正常な脈に落とすためいろいろと医者が手を尽くすことになったようです。
毎度考えさせられるのは、このように体に埋め込んだ機器の故障にどう対応するか、ということです。ペースメーカーの故障はきわめてまれだということは知っていますが、それでも電子機器である以上故障や不良が避けられません。現に母の一世代前のものは製造上の欠陥があり、その発覚後メーカーの負担で入院と交換手術を行ったことがあります。どんなに信頼性の高い機器でも、やはり不良をゼロにすることは難しいのでしょうし、それを覚悟して利用していかなければならないということなのかもしれません。
これまでも時折このページでご説明してきたとおり、情報技術の進歩は人間の五感を拡張する可能性を高めています。たとえば現在開発されている視覚デバイスは、目の見えない方に60ピクセルの画像を見せることが可能になっています。これらの開発進んでいけば、視覚に障害がある方も健常人と同じようにものを見ることが可能になるでしょう。さらに健常人であっても、遭難救助などを担当するパイロットには遙か遠方をみることができるデバイスを付けることも考えられますし、精密手術を行う医者が、顕微鏡のようなデバイスを身につけることも考えられます。こういう技術が、この先有望といわれている拡張人間(Augmented
Human)という技術です。
このように人間の五感を支援するデバイスや、ペースメーカーのように内臓をコントロールするデバイス、人間の骨格や筋力をアップするデバイスなど、さまざまなものが今後出現し、実際に人間に装着したり手術で埋め込んで使われる可能性が日々高まっています。現に現在の一部の自動車は、それらのデバイスを身につけているといえますし、ハンドルとアクセル、ブレーキで操作していた時代とはあきらかに違った機械になっています。こういった情報技術や新しい機器が人間に利活用されるとなると、これらの故障や不良に対し、我々はどう考えていくべきかをそろそろ真剣に論議しなければならない時期に来たように思われるのです。
新しい機器や技術は、これまで対応出来なかったさまざまな疾患を克服し、生活の質や寿命を延ばしていくことになります。しかしどんなに慎重に努力をしても、それぞれの技術に不具合やバグ、機械的な故障はつきまとうと思うのです。人類が生み出したすべての技術や機器で、そのすべての生産数に対して完全なものは作れなかったはずですし、それは今後も起きうることと考えざるを得ません。むしろ新しい技術や機器であればあるほど、その発達の過程とともに不具合が発見され修正されていきますから、当初はかならず大きな問題が出る可能性が高いと思われるのです。
となると、普及の初期で不具合がでることに対して、我々はどのように考えるべきかを、議論が必要になります。例えば、肝臓の働きを完全に代用できる機器が造られたとします。これによって移植以外に延命方法のなかった多くの患者が救われることになります。しかしその機器に不具合があり、それによって不幸にも亡くなった方がでた場合、その家族の気持ちは確実にその不具合を見つけられなかったメーカーに向きます。これによってメーカーはその機器の販売を続けることが難しくなるでしょうし、開発も止まってしまうかもしれません。場合によっては訴訟となり、判決によってはそのメーカーの生産や開発に大きなダメージを与えることも考えられますし、場合によっては企業活動そのものが不能になり破産や倒産してしまうことも考えられます。
一人の命の重さを他の命と比べることは出来ませんが、その一人の命失われた事実によって、他の多くの方の助かる可能性を否定するのは、正しいことなのでしょうか?逆に多くの人が救われるのであれば、一定の割合で大切な人が亡くなることも仕方ない、と我々は割り切ることができるのでしょうか。
このジレンマに対し、正しい答えはおそらくないと思われます。だからこそ、まもなく起きるであろうこの問題に我々はどう取り組んでいくのか、多くの人間が論議を重ね合意をつくっていかなければならないと思うのです。その上で一つ一つの技術や機器を利用する人や家族は、その可能性と危険性を十分に説明を受けた上で、それを体に組み込むことを同意していくべきと私は考えます。その上で万が一にも不幸な事態が起きても、過度に反応することなく補償を受けるべきと思いますし、その教訓をもとによりよい製品開発をメーカーは続けていくべきと私は思うのです。
こういった社会の合意をつくることが、新しい技術や機器の可能性を広げていきます。始まってから問題を考えるのではなく、起こりうることを想定して今から検討する。こういった活動を広げていくことが、新しい技術や機器が豊かな社会をつくる基礎となっていくように私には思えるのです。