ロボットの普及が、新たな問題を引き置きしています。
ソフトバンクのPepper君に代表されるように、新しい機能を持った様々なロボットが開発され、徐々に社会に普及を始めています。これらのロボットが人間の仕事を奪う、という論議が起きていることは以前ご紹介しましたが、今回はちょっと違った観点での問題が提起されています。
事の起こりは、Googleが買収したBoston
Dynamics社が公開した映像です。この会社、米軍と共同で様々なロボットを開発しているようで、これまでに四足歩行の犬のようなロボットの映像をネット上で公開していましたが、今回は二足歩行のロボットの映像をネット上に公開しました。しかしその映像の内容が問題となり、物議を醸しているようです。というのも四足歩行のロボットでも同様のことを行っているのですが、ロボットの性能の高さを見せるためにそのロボットを蹴ったり押し倒したりするのです。これがロボットに対するいじめのように見えるため、映像を視聴した一部の方から虐待ではないかという声が出ているようです。
実際に映像を確認してみると、雪原を健気に歩く二足歩行のロボットの映像が公開されています。雪に足を取られても倒れず回復し、滑ってもなんとか立っている姿勢を保ちます。その姿が雪に足を取られている雪に不慣れなおっさんそのものですので、笑いさせ起こさせる映像です。その後倉庫内で10ポンドの荷物を床から棚に収納する映像が続き、問題の内容になります。
ロボットが荷物を持ち上げると、横から来た男性がホッケーのスティックで荷物をたたき落とし、ロボットを突き飛ばします。ロボットは後ずさるものの姿勢を立て直し、再びしゃがんで荷物を持ち上げようとしますが、ホッケーのスティックで荷物が動かされてしまいます。ロボットはその荷物を追いかけ再度持ち上げますが、再びホッケースティックで荷物をたたき落とされます。ロボットは再び荷物を持ち上げようとしゃがむと、今度は少しだけ荷物を動かし、そこに歩くとまた荷物を動かし、を繰り返します。この映像は、アメリカ映画の学園もののいじめのシーンをイメージさせます。その後シーンが代わり、今度はロボットの後ろから男性が現れ、ロボットを思いっきり突き飛ばします。ロボットは前に倒れてしまいます。しかしロボットは手を床に付き、上手に立ち上がります。
この映像を見る限り、このロボットの性能の高さは言うまでもありません。悪路を倒れず歩いたり、障害があっても目的を達成できます。さらに想定外のことが起きても通常通り復帰し、その機能を発揮します。なにより素晴らしいのは、人型であることから人間の生活環境で特別な配慮なく活動できることです。四足歩行ですと、ドアを開けたりさまざまな確認をするために、立ち上がったり首を伸ばしたりの必要がでます。逆にそれだけの高さを持ったロボットにすると、馬のような大型のものになってしまい、人間の生活環境では活動に制約が生まれるでしょう。
ところが二足歩行の人型にすると、そういった問題はすべて解決できます。重さも人と同じぐらいになれば、人が使う道具をそのまま使えるようになりますし、その形が洗練されれば、人とロボットの区別も徐々に不要になっていきます。しかし同時にそのことが、人間と機械のあり方に大きな波紋を投げかけてしまうことが今回明確に分かってきました。人型に近づくほど人はロボットを人としてみてしまう可能性があり、ロボットそのものはなにも気にしなくても、人間として、社会としてロボットに対する倫理的なあり方を考えなければならなくなるのです。
ロボットは機械ですし、感情をもちません。人に小突かれたり倒されたりしても、ロボット自身は不快に思うことはないでしょう。しかしそれを見ている人のほうは、さまざまな感情を持つことになります。人と同じ姿の機械が殴られていると、不快に思ったり哀れに思う人は沢山いると思われるのです。機械であっても殴ることは許されるべきではない、というのは建前で、怒ってモノに当たる人間は普通いるはずです。現実私自身もそうでしたが、昔の人は故障した機械をよくたたいたものです。(接触の悪い電化製品ですと、その筐体をたたくことで直ることががあったので、ある一定の年齢以上の方はかならずやったはずです。)もちろん電話で不快な話をした後、受話器を本体にたたきつける人も見たことがありますし、腹立ち紛れにゴミ箱をける人は現在でもみかけます。しかしそのときに、電話やゴミ箱をかわいそうと思う人は少ないと思うのです。
となると、機械とロボットの違いは何なのでしょうか。形が人に近ければ問題であり、人から遠ければ問題はないのでしょうか。となるとルンバのような自動掃除機は自律的に掃除を行いますが、これが挨拶や言葉を発るようになると、それは機械と考えるべきかロボットと考えるべきか、どちらのでしょうか。自動掃除機が掃除をしながら障害物に当たったとき、「いてっ!」と独白したり、「結構ほこりたまってますよ、もう少し私の運転感覚を縮めた方がいいですよ。」と持ち主に話し出すと、人と同じように自動掃除機に共感を持ってしまう可能性があるのです。となると、そういった機械を誤ってけってしまうと、「ごめんね。」と声をかけてしまう可能性があるでしょうし、そこで「だいじょうぶですよ。」と返答があると、まさに人型ではなくとも共感できるロボットになってしまうのです。
これが進んでいくと、ロボットに求める機能を実行させることが心理的に難しくなったり、感情的になっていく人が出る可能性もあります。放射能の強い場所の作業を行うロボットに対して「そんな危険な作業をさせるべきではない」とか、人間が入れないようなキツイ作業環境で働くロボットに「そんな長時間労働を続けさせるのはかわいそう」といった感情を持つ人間がでかねないのです。ましてや自分が大切にしているロボットを他人から危害を加えられそうになった時に、その人に対して反撃してしまう可能性もあります。
このように、情報技術の進歩とともに、これまでSFの世界でしか論じられなかったロボットの定義と、人との関わりを真剣に考えざるを得ない可能性が高まっているのです。自走自動車もそうであるように、人間の営みを積極的に支援する機械が日々増えて、予想以上に進化が進みます。世界の囲碁のチャンピオンに連勝するAIができてたことも、この問題の重要度を教えてくれるきっかけと私は思います。その中でもういちど我々は人間と機械の理想的な共存のあり方を考えるべき時期に来ていると私は思っています。そして今それを行わないと、機械が起こした大きな問題で、多くの人々が不幸になる可能性があることを我々は忘れてはなりません。