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Weekly report

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 April Fourth week

 4月もはや最終週です。今週からゴールデンウィークに入ります。

 今年も4月は新人研修で忙殺されていましたが、やはり今年は今年で特徴があるようです。今年の新人さんは、東日本大震災や不況などの影響を直接的に受けていない世代です。昨年の新人さんと違い卒業式も入学式もきちんと行われましたし、就職環境も売り手市場の中での若者です。したがってまたまた近年とちょっと違う傾向を示しているように思います。まだまだ5社ほどの新人さんしか見ていませんが、それでもどこの人事の方も同じ見方のようです。

 今年の傾向は、全般的に「ゆるい」ことのようです。たとえば当初から遅刻が多く、定刻に出社できない若者が少なからずいるようです。また遅刻の連絡を友人へのLINEですましたり、メールで送るだけという若者も多いようです。さらに遅れることが分かっても、9時を回ってしまったから連絡をしないという強者もいるようであり、今までの若者の常識とは明らかに違うタイプのようです。

 さらに面白いのは、提出物です。日付を決めて提出物を求めても、何割かの若者は間に合わないようですし、内容や必要書類が不足したまま提出する若者の少なからずいるようです。それがどのような問題なのかを、想像する力が欠如しているのでしょう。この数年の若者同様SNSなどのメディアに精通している反面対人のコミュニケーションが苦手なのでしょうし、論理的思考、発想力、想像力は明らかに欠如されている方が少なくないように思います。その反面「ゆとり」という言葉に過剰反応し、自分はちがう、という意識は強いように思います。ひとくくりにされるのはイヤだが、なぜひとくくりになってしまうかを考えられないのでしょうし、それを自己主張と思っている若者も少なくないようですね。

 また「怒られない」世代の特徴か、打たれ弱いのも例年以上のようです。文字通り「褒められて伸びて」きたのでしょうし、体罰はおろか大きな声での叱責の経験もないのでしょう。人事の方は「豆腐のメンタル」といってらっしゃいましたが、ちょっとしたことですぐに落ち込み、最悪この会社を辞めたいと思ってしまうようです。社会は理不尽ということが分かっておらず、自分の理解できる範囲で社会を理解してしまうために起きてしまうのでしょうし、学校でさえも理不尽さのない社会になってしまったということだと思います。(私の時代は、学校でも意味なく殴られた記憶があります。連帯責任という巻き添えは、非常に多かったように思います。)

 こうやって考えてみると、年々若者の姿は変わりますが、それに気づき嘆くのはいつの時代も年寄りです。かつて自分も若者で、そういう評価を受けてきたことを忘れてしまうようであり、レッテル張りと嘆息だけが得意になってしまうのかも知れません。

 見方を変えてみると、今年の若者は若者らしい屈託のなさが特徴かも知れません。若者本来ののびのびとした姿が久しぶりに見られる世代かも知れませんから、上手に育てればきっと新しい社会を作ってくれるのではないかと期待したいと思っています。

 閑話休題。

 水道橋に、私が20年来通っているそば屋があります。味は満点であり、好みはあっても江戸のそばらしいそばを食べさせてくれる店です。そのそば屋の女将は私の両親ぐらいの年齢でしたが、昭和の名店らしくほんとうに細かい気遣いをされる方でした。同時に江戸っ子気質の非常に明るい性格で、訪れる客すべてに温かい声をかけてくれていました。お昼時はいつも満席であり、いつも一人でその見せに向かう私は、確実に相席しか座ることが出来ないほど混雑する名店でした。もちろんそばですので客の平均年齢は高く、おそらくは40代後半ぐらいの客が大半でした。

 二年ほど前にお伺いすると、女将がいらっしゃいませんでした。店の方に聞いてみると、やはり高齢のためご引退されたようでした。それでもお店は繁盛していたのですが、先日久々に訪れてみると、12時過ぎのかき入れ時にもかかわらず、見せに閑古鳥が鳴いている状態でした。味のほうはやや濃いめになったようにも感じましたが、それもで以前と同様満足の出来る味でしたが、客は激減です。翌日も訪れてみましたが、やはり5〜6人の客しかおらず、閑散としたイメージでした。付近のラーメン屋などは行列ですから、決してビジネスパーソンや学生が減ったわけではありませんので、この店独自の問題のようです。

 観察してみると、後を継がれた女将に元気がなく、先代の女将のような細かい配慮はありませんでした。普通のお店の普通のサービスであり、特に雑であるとか悪いというレベルではありませんし、アルバイトの外国人のサービスに比べると、普通の日本のお店のレベルではありよいサービスレベルだとは思います。とはいえこの店の客である40代後半の客にとっては、以前の女将のサービスが居心地よかったのでしょう。飲食店の基本は味のはずですが、日本の名店にはそれをこえる居心地の良さというサービスが提供されていたのでしょうし、それに惹かれた客もたくさんいたのでしょう。それが失われた今、そのそば屋は普通のそば屋になってしまい、街の普通のそば屋は立ち食いや他の飲食店に客を奪われてしまうのでしょう。

 また一つ、昭和の名店の灯りが消えようとしていることを寂しく感じるのは、私が歳を喰ったせいだけとは思えません。新しい時代と古い時代の融合は、本当に難しいテーマと思わされる出来事でした。