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 August Third week

 先日面白いニュースがネットに掲載されました。

 岡崎の花火メーカーが、安価な中国製や台湾製に押されて製造中止になっていた据置型花火の「ドラゴン」が、クラウドファンディングの成功により製造が再開されるそうです。募集額が60万円と低かったのも成功要因の一つですが、それでも新たな製造再開を心から喜びたいと思います。

 海潜亭のブログでも紹介しましたが、先日訪れていただいたお客様の一人が、浅草の花火店で日本製の線香花火をお買いになってお持ちいただきました。全員でさまざまな花火を楽しんだのですが、その中でもダントツに人気があったのがこの日本製の線香花火だったのです。

 中国製などの海外製花火は、確かに色は明るく勢いがあります。しかし日本でいうところのわびさびにはかけるところがあり、夏の夕暮れを静かに楽しむと言うよりも、街中の雑踏で大声で騒ぐような性質があるように思います。それに対して日本の花火は、色合いや花火のストーリー、そして日持ちの長さなど、花火職人の思いと腕が伝わってくるような作りになっています。

 線香花火を考えてみると、初めは小さく火が付き、やがて少し華が開きます。時間とともに華と音は大きくなり、見る人を引きつける輝きを見せます。やがて穂先に赤熱の玉ができはじめ華は消えます。しかしその赤熱の玉から柳のようなか細い光が静かに静かにつづきます。持ち手が丁寧に楽しむと、赤熱の玉は落ちることなく目に見えないほどの柳の光が静かに消え去っていきます。すこし手が震えると、赤熱の玉は地面に落下し、その衝撃で大きく火花を散らして消えていきます。煙は微かですが、花火の香りを楽しむことはでき、その光と音の変化で人々の心を引きつけるのが日本の線香花火です。

 それに対して中国製などの海外花火は、初めから大きく明るく華が開きますが、反面時間は短く煙も大量に出ます。また赤熱の玉ができることはまれであり、すぐに消えてしまいます。花火としての派手さは十分ありますが、日本人の好むしとやかさやはかなさには縁のないものかもしれません。

 このように花火一つとっても、その国の文化が現れますし、それを作っている職人の技術や想いが表れるように思われます。どちらが優れている、のではなく、それぞれの国の違いが花火一つをとってもあるということを我々は理解しなければなりません。邪気を払い雰囲気を盛り上げるためには中国の花火は最高でしょうし、去りゆく夏を惜しみながら静かに光を楽しむのであれば、日本の花火は最適でしょう。それぞれの国のそれぞれの文化や背景が製品を作っている以上、それは否定されるべきでも軽視されるべきでもないのです。

 逆にそういった独自性を失うことを国際化、と考えることも大きな間違いであることを我々は気づかなければなりません。欧米の先進的な文化で世界を塗り固めることは国際化ではなく、各国の文化や生活の破壊かもしれないのです。現にイスラム文化の台頭はキリスト教文化一辺倒という傾向に対しての反発といえますし、LOHASなどといった運動は、過度な文明化の反動ともいえます。

 今回の「ドラゴン」の復活は、日本の花火のみならず職人が誇ってきた技の再興であることを心から願いたいと私は思っています。そして世界の多くの人がその素晴らしさに感激し、選択肢の一つとして日本の花火が世界に通用することを心から願っています。そしてその大きな流れが、やがてすべての日本のモノ作りに活かされることが、私の一番の願いかも知れません。