今年も残すところあと二週、皆様とも風邪やインフルエンザを引かずに穏やかな年末をお迎えいただきたいと思います。講座もインフルエンザでお休みになる方が非常に多いので、私も気をつけなければ...
さて先日九州のスケートリンクで、氷の下に魚を閉じ込めたリンクを作成したことにネット場で批判が集まり、結局撤去する騒ぎが起きました。その最中に私の頭に一番早く浮かんだのは、「札幌雪祭りが過剰反応するのでは...」という危惧でした。
昔から札幌雪祭りのすすき野会場では、さまざまな魚の氷漬けが展示されていました。北海道の蟹やホッケ、鮭など多くの魚が並び、子供の興味を引いていました。しかし今回の件で過剰反応し、雪祭りの実行委員会側がこういった展示を自粛してしまうのではないかと懸念していたのです。残念ながら私の予想は当たってしまい、先日の報道で「雪祭り中の氷魚の展示を取りやめる」が発表されました。予想通りとはいえ、この消極的な自粛の姿勢に暗澹たる気分になりました。
利害や直接的関係のない第三者が勝手に放言をはいているだけなのに、それを世論として真面目に受け取り対応を行ってしまうことには、大きな問題があると私は考えます。人がどのような意見を表明したり、その意見に対する批判を述べることは基本的に自由です。しかしそれは一個人の意見であり、それに賛同する人間どれだけいてもそれは一つの意見に過ぎません。
また世論という目に見えない背景をもとにもっともらしい正論を放言することも自由ですが、それを真に受けて過剰反応したり自粛を行ったりすることも、決して望ましいことではないと思います。正論は正論ですが、その前提や背景を考えると対象の事象に対して適切ではないことも多多あり得るからです。物事の表面だけを切り取って正論を述べ、それに過剰反応して自粛するのはやはり適切なこととはいえません。
現状ネットで意見を発しない大多数の人間は、スケートリンクの魚の氷漬けなどどうでもいいこと、と思っているはずです。しかしネットで声高で発言したがる多くの方は、自分の意見を正当化することを喜びとしていますし、その根拠を社会的常識や世論という都合のいい根拠に基づいていることを忘れてはなりません。
社会的常識や世論を意図的に形成することで、ナチズムやファシズムは台頭しました。大本営の発表する情報が正しいと様々な知識人が肯定することで、日本はあり得ない侵略戦争をひたすら続けてしまいました。それを肯定したのは多くの大衆であったこと、それは歴史が誤っていることを照明していること、我々はこの点を忘れてはなりません。
かつて私の通った高校では、全校生徒参加の全校応援団制という伝統を守っておりました。当事者である学生の時は面倒に感じましたが、数十年続く伝統はこうやって築かれるということを、卒業して大人になってから感じられるようになりました.しかし残念なことに、その伝統はたった一人の無知で独善的な親によって廃止させられてしまいました。当事者たる生徒の考えではなく、単なる部外者の意見が参加した多くの先達によって百年近く守られてきた伝統をぶちこわした悲しい事実を私も体験しています。
今回の氷魚の件は、これに繋がる現代の縮図のように思われます。批判を恐れてなにもしなければすべての文化や伝統は壊れてしまいますし、新しいチャレンジはすべて否定されることになるでしょう。社会的に正しいことは、たった一人の放言で決まることではなく、多くの人々の果てしない討議と真剣な検討に中で決まると言うことを我々は真剣に考えなければなりません。