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7年度の四月も終わり、いよいよ各社の新人研修も本格化してきました。今年も例年通り多くの企業の新人研修を担当していますが、今年の新人さんの傾向が少しだけ見えてきたように思います。
2011年前後は震災と就職不況で緊張感にあふれた新人さんが多かったように思いますが、この数年はまた新人らしい屈託のない明るさをもった方が増えてきているように思います。いわゆるくせ者的な若者は益々減り、どこの会社でもいわゆるいい子の新人さんが増えています。
日本生産性本部の例年の新人の特徴からすると、今年の新人は「キャラクター捕獲ゲーム型」だそうです。スマホを片手にレア企業を求めて就職活動をして勝ち残った若者のようですが、飽きやすいのが特徴のようです。新人の早期の離職はどこの企業でも問題になっていますし、実際多くの企業で一年目の新人が辞めるという話を聞きますから、如何に研修や仕事を飽きさせないようにするのが企業の命題なっているのかもしれません。
今年一番強く感じたことは、「目立とうとする若者がいない」ということです。こちらが質問しようとしても目線をそらす新人さんが多いですし、自主的に挙手をさせてもほとんど手が上がらない状況をどこでも見ることになりました。無理矢理挙手を求めても手を挙げる人間が固定されてしまいますから、基本的に目立とうとしないのが今年の特徴かも知れません。スピーチでも自分を表現することが余り巧くなく、事実を淡々と述べる方が多かったように思います。
この数年再三申し上げていますが、今年の新人さん達はデジタルネイティブ化が本格化した世代であり、考える力はどこの企業でも極端に低くなってしまっている感が強くあります。暗記偏重の学校教育だけでなく、インターネットの普及と利便性の向上がここまで人間の本質を変えてしまうことに驚きしかありませんが、事実として思考訓練を受けていない新人さんがふえています。したがって新人研修で「考える力」の研修を導入した企業では、「生まれて初めてこんなに考えた」とか、「これまで考えていたつもりが、ほぼ思いつきの連続だったことに気づいた」という新人さんが数多く見られました。同時にこれまで自らの優位性を保った記憶力が相対的に必要なくなっていることに危機を覚え、本格的に考えることを練習しようとする素直な新人さんも多く見られました。
こうして考えてみると、日本生産性本部が言う「すべてに飽きやすい」ということと、「思考力の欠如」に深い因果関係があるように思えてなりません。覚えることが中心であれば、覚える必要があること以外に興味を持たなくなることは当然です。さらに学問の面白さよりも試験での高い得点の確保が教育の命題になってしまうと、学ぶことそのものの面白さは伝わらないでしょう。さらに教育以外の普段の生活は刺激にあふれていますが、その刺激の多くがネットが提供する受動的なものばかりです。となると能動的に興味を持ったことを調べたり練習したりの機会が相対的に減っていきますから、より考えることはしなくなります。さらにネットで提供される面白さそのものが刹那的なものばかりですから、飽きやすくなってしまうのかも知れません。
最近の若者はモノに執着せず断捨離をするのが好きなようですが、これも飽きやすさと因果関係があるように思えます。つまりすべてが簡単に手に入る以上、モノに対する思い入れが相対的に減ってしまいます。となれば、何を持っている必要もないのですべての持っているモノを手放すことができるのでしょう。私はコレクション癖があるので極端かも知れませんが、一つ一つのモノに思い入れがあると捨てられなくなるのが我々世代の特徴かも知れません。たとえそれが現在の記憶上になくても、脳の奥深くの記憶を呼び起こすモノであれば捨てにくく思えてしまいますし、それは一つ一つのモノが持つ記憶のように思えるのです。しかし今の若者にはそれが希薄ですし、モノに対する思い入れや考えがほとんどないように思えます。
こういった世代が増えることによって、日本の文化が変わっていくのか新人さんが旧人にそまっていくのかは私には解りません。ただし新しい世代が世に出ることによって、今までの当たり前が少しずつ変わっていくことを心のどこかで望んでいる私がいます。目立たない若者が目立つようになり、世界の檜舞台で活躍されることを心から願っています。