日本を取り巻く環境が日々、きな臭くなってきています。
先週の韓国大統領選では、若者の支持を受けた北朝鮮よりの大統領が選出されました。閣僚の顔ぶれも完全に親北朝鮮ですから、北朝鮮に飲まれる形での統一も現実味を帯びてきました。
週末には北朝鮮が、またもや長距離のミサイルを発射しました。飛行距離は800kmほどのようですが、その到達高度を考えるとICBMに近い性能を持っている可能性が高いようです。これによって日本はもちろんグアムも射程圏内に入る可能性が高まりましたから、米国の恐れる直接攻撃がより可能性を増したことになります。米国の焦りは大きくなったといえますし、男の子の国の大統領としては短絡的行動に出る可能性もより高まったように思われます。
米国が圧力をかけ続けている中国も北朝鮮に対する姿勢を変えようとしていますし、北朝鮮もその状況に明確な反発を見せています。これまでは中国の庇護下にあった過保護の息子といっても過言ではありませんでしたが、ここに来て完全に中国との決別を意識しているように思われますし、中国もその放蕩息子の行方に手を焼いているように思われます。
ところが関係の悪化する中国に対して、今度はロシアが北朝鮮との定期航路を就航させることになりました。ロシアとしてもこの機会に北朝鮮とのパイプを太くし、対立する西側と、台頭する中国への牽制としたいのでしょう。特にロシアと中国は隣国にあり、決してその関係が両行で会ったわけではありません。中国の国力が弱いときは特に守りを固める必要がなかっただけであり、これだけ国力が増すとロシアとしてもこれまでとの隣国関係を完全に見直す必要があるのでしょうし、戦略的に考えると北朝鮮との友好関係は中国への圧力となると考えているのでしょう。
さらにわが日本でも、相変わらずの右傾化が進んでいます。先週は自民党内でも反発が出るほどの独断で、首相が憲法改正について発言を行いました。どうあっても平和憲法を改正し、自衛隊は軍隊ではないという形で戦争に参加させたいという首相の意図が見えてきましたし、それだけ自分の功績を後世に残したいという名誉欲を強く感じます。同時に共謀罪関連法規についても、さまざまな検討を無視して極力広い範囲での成立をごり押ししていますし、国民よりも国の力を強めようとする傾向は強まっています。こうしてさまざまな形で国や自衛隊が国際紛争に関与しようとしていますし、それに反する国民を押さえ込めるよう関連する条約も強めようとしています。結果として国際社会との協調という名目で、戦争へ参戦する道を選択していると言わざるを得ません。
これらを総合すると、やはりこの緊張の中で小規模であっても戦争は起きそうですし、その中心は日本近隣であることは間違いなさそうです。オリンピック需要で浮かれている経済も、このままではオリンピックの開催そのものが危ぶまれることも十分に考えなければならないように思います。2020年までにあと三年というよりも、今後万が一事が起きてからでも三年で始末を付けられるかということですし、その後の危機も封じ込められるのかということであることを真剣に考えなければなりません。
世界中の誰もが、戦争を望みません。しかしそれでも戦争が起きるのは、国家の名を借りた個人の野望や意地が原因のように思います。その個人を選んでしまうのは国民ですが、その個人が強い野望を持てば持つほど魅力が高まり、その野望が国をよくしてくれると信じてしまうからです。しかし我々はそこに真実があり、そこに誤解があることに気づかなければなりません。国をよくすることは、国内を良くすると同時に国際社会での存在意義を高めることです。そのバランスが取れていたり、国内をよくすることに専心するのであれば国民の幸福に繋がります。しかし国内よりも国際社会での存在意義を高めることに注力したりそのために短絡的方法を採ろうとするのであれば、選んだ国民の幸福に繋がるのではなく選ばれた個人の欲望を満たすだけになります。世界の緊張がこの構図から生まれることをもう一度認識し、我々は選択をしなければなりません。
今の多くの国の代表がそうであるように、強い個人としての野望を持った人間が選ばれてしまいます。その野望が国民を幸福にする、既存勢力の既得権を壊してくれる、そのためには国際社会での発言権も高める必要がある、というのが多くの国の代表が選ばれた理由です。それだけ国際経済は閉塞的であり、さまざまな不公平が生まれてしまっているのも事実です。しかしその理由を国際社会や他国に求める、場合によっては既存勢力に求めるのであれば、かならず紛争は起きます。ましてやその弾圧や攻撃が手段であれば、確実に戦争になります。
それを回避するためには、国民の選択しかありません。その個人を選ぶときに、真剣にその資質と意欲を検証し、正しい選択をするしかありません。表面的な熱狂を生むような甘言にだまされることなく真意を見抜く必要がありますし、その実力を正しく評価するしかありません。はやし立てる多くの声に耳を傾けるのではなく、本当にその個人が正しく行動をするかを自分の心に問わなければなりません。そしてその彼が暴走を始めたのであれば、国民が一丸となってその暴走を止め、積極的な被害や不幸を生むことを阻止なければなりません。
我々は直接選べませんが、それを生み出す政党を選ぶことができます。我々が選んだ結果が何を生むのか、我々はもう一度考え直す必要があることを強く感じざるを得ません。