先日テレビを見ていると、妙なコマーシャルを放映していました。
政府広報として「内閣官房・消防庁」が共同で製作したもののようですが、「弾道ミサイル落下時の行動」篇というCMです。
ご覧になった方もいるかも知れませんが、内容的には次のようなものです。
@弾道ミサイルが日本に落下する可能性がある場合、Jアラート(全国瞬時警報システム)が警報を伝える
A屋外にいる場合は、頑丈な建物や地下に避難
B建物がない場合は物陰に身を隠す、姿勢を低くして頭を守る
C屋内にいる場合は、窓から離れるか窓のない部屋に移る
といったものです。
このCMが奇異に感じるのは、まさに日本が戦争直前の状態であり攻撃を受ける可能性があることを明示していることです。つまり国としては、まさに現在は戦時下と考えているように思えるのです。日中のテレビは綺麗なお姉さんやイケメンが登場し、派手な音楽と共に新製品や新サービスを連呼しまわっています。その中でぽつんとこんなCMが放映されていることは、やはり私には奇異に感じざるを得ません
911や地下鉄サリン事件でも解るとおり、世界はまさに戦争よりテロの危険にさらされています。日常生活の中にひっそりと危険が忍び込み、いつどこでどのような形でテロが実行されるかは誰にも解りません。日本では銃器や爆薬を入手することはきわめて困難ですし、その製造技術はネット上にあふれていてもその材料を入することは難しい、あるいは大量に購入すると公安がそれをかぎつけ、未然に防止されているように思われます。しかし私が恐れていたとおり、世界でも銃器や爆薬を使わないテロが行われるようになってきています。
インターネットの普及と共に、世界中のあらゆる思想に簡単に触れる機会が無限に広がりました。個人的な不満は、同じ境遇にある人間と飲み屋で知り合いぼやくことしか出来なかった昔と違い、ネットの上で不満を表現したり共有することが簡単にできるようになりました。また世界中の不満がどのような形で解消されるのか、どのような方法で不満の原因となっている国や企業を叩くことが出来るかを容易に知ることが出来るようになっています。結果としてそういった不満を他者に危害を与えることで解消しようとする、ホームグロウンテロリストといわれる過激思想に感化された個人的なテロリストがうまれることになったのです。武器や弾薬はなくても、その意思だけであらゆるものを利用したテロが行える可能性が広がっていますし、世界中で私が恐れていた多くの方法が試され始めています。
となると、国としてはテロの対策を報じるべきと私は考えてしまうのですが、CMを見る限りテロよりも弾道ミサイルの対策のほうが重要と考えているのでしょう。私としては、テロのパターンや日本で可能性のある方法、それに遭遇した場合の具体的行動例を示す方がずっと国民の安全上は重要に思われます。実際地下鉄サリン事件の後、私も愉快犯による犯行に遭遇したことがあります。渋谷の地下で映画を見ていたとき、地上の映画館の中で催涙スプレーを放射されたのです。映画は上映中止になり避難となりましたが、外に出てみると多くの警察や消防関係者それ以上に、大勢の野次馬が集まっていました。テロではこうして人を集めてから本格的攻撃を行うのが常套手段ですから、私は即時にタクシーに乗りその場から立ち去りましたが、集まった野次馬の危機意識の低さには驚かされました。このようにテロについても十分な知識を持たない国民が大半ですし、弾道ミサイルの着弾リスクとテロのリスクを比較してもテロのほうがはるかに確率が高いように思えるのですが、CMでは弾道ミサイルについての情報が提供されているのです。
さらにCMの内容を見ると、通常爆弾を利用した弾道ミサイルを想定しているようであり、爆風による被害軽減が主になっているように思われます。しかし戦争に突入することを覚悟した国が、わざわざ通常爆弾を利用した弾道ミサイルを利用するとは考えにくいというのが正直なところです。弾道ミサイルに搭載されるのは通常爆弾ではなく、間違いなく核兵器です。弾道ミサイルに搭載できるほど核兵器を小型化できるか、特に小型軽量な起爆装置を作れるかというのがポイントとなっていますが、実際は核爆発をしなくても核物質を飛散させるだけでも落下地に相当なダメージを与えることが可能です。事実核物質の漏れた福島では、6年以上たった今でも立ち入り禁止が解除できない地域があります。これと同じ状態が日本中で生まれるというのが、弾道ミサイルの本当の恐怖です。
こう考えてみると、弾道ミサイルのCMはやや本質が隠されているように思われますし、どちらかというと国民に本当の脅威を意識させないためのごまかしのように私には思えるのです。本質に触れることなく現象だけを表面的にとらえそれを警告する。有事の際にはそれを既成事実として政府の正当性を主張するのでしょうが、国民の本当の安全を考えた対策を講じないというのは本末転倒の感が残らざるを得ません。
さまざまなリスクが高い現代だからこそ、身の回りのリスクをきちんととらえ、その発生確率と影響度をもとに対策を講じていく必要があります。弾道ミサイルよりテロですし、テロより犯罪や事故です。さらに最もリスクが高いのは天災です。身近でリスクが顕在化した場合にどういう対応を取るか、我々一人一人が自ら考えるべきテーマのように思えます。