新年、明けましておめでとうございます。今年もなにとぞ、よろしくお願いいたします。
さて新しい年、2018年が始まりました。IT革命といわれて久しいですが、今年は我々の想像を根本から否定するような新しいアイディアが実現される予感で一杯です。もはや出来ないことや不可能は存在せず、それを受け入れる柔軟性があるかどうかが我々に問われる時代が始まったような気がしますし、常識や法則にとらわれない感性が益々一層重要な時代になるように思われます。
この数年、私自身日本にはまだアドバンテージがある、と申し上げてきました。しかし昨今の米国や中国、イスラエルなどをみていると、もはやアドバンテージそのものがなくなり、完全に世界の後塵を拝するようになった気がします。要素要素の技術力は高くても、これからの時代に最も重要となる発想力と実行力が日本には決定的に欠けている気がするのです。まったくないものを生み出したり、極限まで低い可能性でもチャレンジする力が日本から奪われ、これまでどおり改善の延長しか生み出せなくなっているように思われます。若者から無限の想像力やチャレンジする力が奪われ、いかにして社会に受け入れられるかを社会、若者ともが救急としているように思えるのです。いまなら世界を変えられるのに、世界を変えるよりも既存の社会に適合できるよう自分を変えようとする若者が本当に多くなってしまったように思うのです。
このような状況に陥った原因を考えると、思い当たることはいくつかあります。
まずは教育の問題は大きいのでしょう。バブル崩壊後の不安定な社会状況を眺めてきた大人にとって、子供がその中で生きていくためには社会に適合できること、それもより高度に適合できることが必須条件に思えたのでしょう。昔から日本の教育は理不尽な押しつけが多いことは事実と思いますが、それでもルールを逸脱できる自由さが学校の中にはあったように思われます。それは社会が寛容であったことと、教育者そのものが大人であったことが理由のように思えるのです。私の人格形成に高校時代は大きな影響を与えましたが、9割以上が高校OBである教師の集団の中で学校の伝統を受け継いだ感はあります。勉強でもスポーツでも部活動であっても、一点に優れていれば他のことに問題があっても目をつむってもらえる自由さがあったことは、今でも本当に有り難いと思っています。(私は放送部でそれなりの成績を残していたため、勉強はだめでも部活を理由に映画館通いができました。)
ところがそういった教育は今ではあり得ませんし、高い成績を残すためには学校よりも塾、塾よりもインターネットと変化しています。学級を崩壊させるのは落ちこぼれ(成績劣等者)ではなく吹きこぼれ(成績優秀者)になったことが、すべてを物語っているように思えるのです。成績さえ良ければ何をしてもいい、ただその成績は答えのある世界でのみ通用する成績で、社会で生きていくために必要となる成績ではありません。そして大学まで優秀で来ながら、根本的な常識や社会正義そのものの理解をせず社会に適合しようとします。とはいえ成績は良いものの激変の中ですべきことは見つかりませんし、根本的な常識や社会正義がわかりませんから、自分の勝手が正義になります。表は社会に適合していても、裏ではSNS等を使って炎上させたり他者を理由なく否定、批難する、などといったことが頻発するように思えるのです。
また年寄りに目を向けてみると問題なのは、強烈な成功体験と多様性を認められない国民性です。単一民族の島国育ちであるから仕方ないとしても、それでも多様な価値観が認められず過去の常識的な判断のみが基準になってしまいます。大企業は良くてベンチャーは危険、サラリーマンは安定していて独立事業者は不安定、日本人は全量で外国人は危険、などという事実とはまったく違う尺度がいまだに健在な気がしますし、それが文化の変革を妨げています。そのくせ勝ち組を讃え、その裏で勝ち組の欠点を上げへつらうなどが年寄りの問題と思えます。
さらに全世代にいえるのは、同調することされることが重要になってきたことも大きな問題に思われます。承認欲求を満たすために「いいね」をあらゆる世代が求めているように思いますし、「いいね」の数が自己評価の基準のように思えるのです。自分の想いをネットに揚げるのではなく、同調をもとめて情報を提示します。「いいね」が多いほど承認欲求が満たされるのでしょうし、それを求めた行動に
しかしこの先一番大切なことは「新しいことを生み出すこと」だとすれば、これらすべてが大きな問題になります。若者は常識と社会正義を持って社会を変える新しいことを生み出さなければなりませんし、年寄りは自分の常識や判断基準を脇に置いて、新しいことを否定せず受け入れなければなりません。またほとんどの素晴らしい新しいことは、当初は全員が否定されるもの、すなわち「いいね」はないのです。むしろ否定的・批難的意見が大半であり、同調してもらえるかさえ難しいと思うのです。
新しいものを生み出せるかが、今後の日本の未来を決めます。新しいものを生み出す力が、若者には求められます。新しいものを否定しないことが、年寄りには求められます。そしてなにより、孤独の縁に立ち不安と自信のなさにまけない強さをもった人間の出現を、この国は待っています。