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Weekly report

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 February Third week

 将棋の藤井聡太五段(優勝後条件を満たしたため現六段)が羽生善治竜王と広瀬章人八段を破り、朝日杯オープン戦で優勝されました。十五歳という史上最年少の優勝であり、この記録は今後しばらくは破られないのかもしれません。

 正直私は将棋には疎いのですが、今回の結果には驚いたと同時に、さままざまな角度で考えさせられました。というのも先日「人間の未来 AIの未来」というiPS細胞でノーベル賞をとった山中伸弥教授と羽生善治竜王との対談集を読んだため、将棋の世界のことに興味を持ったためです。

 羽生竜王によると、現在の若手棋士が強くなった原因の一つとして、テクノロジーの進化があるそうです。昔はつよくなればなるほど対戦相手を探すのが難しかったようですが、現在はインターネットを使っていくらでも強い相手と対戦ができるようになったようです。さらにこれまでの様々な勝負の展開を記した棋譜がデータベース化されており、棋譜の研究が常時多様に可能になったようです。さらに将棋ソフトが年々強くなったこともあげています。私は知りませんでしたが、10年ほど前に将棋ソフトの市場は事実上なくなってしまったそうです。なぜならば余りにソフトの実力が高くて一般の人では勝負にならなかったからだそうです。結果として将棋ソフトはオープンソース化され、さまざまなマニアやソフトウェア開発者が強くなる工夫を行っています。若手棋士はそういったソフトウェア相手にシミュレーションや練習ができますから、これまでの棋士とは違った質の高い練習が可能になったのでしょう。結果として今回の藤井五段のように竜王や八段の年長者を破って、中学生で優勝できたのかもしれません。

 しかしAIをベースとした将棋ソフトには、戦略性がないといいます。人間であれば戦略的に物事をとらえ全体的をイメージした後に、具体的な行動に移ります。しかしAIは一手一手毎に打ち手の合理性を検討してしまうため、全体としての戦略性が感じられなくなるそうです。ただそこには奇手ともいえる今までになかった新たな打ち手の可能性が出るため、これまでにはなかった新しい組み合わせが生まれる可能性もある、ということだそうです。

 ただし羽生竜王は、藤井五段の強さはこういった技術によるものだけではないとしています。他の若手棋士もそういった技術環境を利用しているにかかわらず、藤井五段には説明の付かないセンスの良さがあり、それが勝利に繋がっているといいます。

 今回の藤井五段の勝利の本当の理由は分かりません。ただし今までとは違う種類の若者が、確実に生まれているという事実の証左な気がします。卓球の張本智和氏もそうですが、若いときからの実績が本当に目覚ましく、世界にもゆうゆうと手が届く人材が生まれてきているように思うのです。練習環境一つをとっても、情報技術の進化によってあらゆる過去のデータを簡単に集められますし、さまざまな角度から分析が可能です。これまで反復の練習と指導者のアドバイスでしか得られなかったノウハウを、画像や分析結果から客観的に理解できそれを試す環境が無限にある、これが現在の若者の環境のように思えるのです。だからこそ今までとは違った成熟した若者が生まれているのでしょうし、さらなる情報技術の進化が今後の若者のあり方も変えていくように思います。

 しかしその反面、その環境を積極的かつ能動的に使えない若者との差も大きくなるように感じます。全員が画一的な努力を求められた時代が代わり、積極的かつ能動的に使う若者、消極的でも能動的に使う若者、消極的で受動的にしか使えない若者に分化してしまうように思うのです。つまりこれまでは学習意欲が低くても、努力の方法が限られていたため他者との差が付きにくかったといえるのですが、努力の方法が無限に展開すると意欲の差が非常に大きくなっていくように思われるのです。

 第四次産業革命により、AIを含めたさまざまな新しい技術が社会を変えると同時に人間の仕事を奪っていきます。私がコンサルタントとしての現役の時、「仕事が人を選ぶ」と思いを常に持っていました。学歴や企業歴といった外見的な優秀さが仕事の適性を示すのではなく、コンサルティング業務に向いた人間のみが適性を示す、と感じていたのです。今後の社会は徐々にこういった方向に進むような気がしますし、暗記型教育で育成された低付加価値、低想像力、思考停止を変えていかないと、1増9減社会(新しい仕事が一つ増えると、既存の九つの仕事がなくなる)が現実になってしまうような恐怖を感じざるを得ません。

 これは若者だけでなく、働く人間すべてに関わる問題であり、その解決の糸口はまだ見つかっていません。だからこそ我々は真剣に、かつ可及的速やかにこの問題に取り組み、新しい時代の若者の育成と働く人間の改革方法を見いださなければなりません。それが出来なければ...想像したくない時代が始まる予感です。