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 February Fourth week

 早くも二月も最終週、本当に慌ただしく毎日が過ぎていきます。

 このところAI関連の調査や学習をくり返してきましたが、新しい仕組みを見たり考えたりするたび、この国のあり方に疑問を持ってしまいます。それは既得権益を持った組織や人間が、その権益を失わないよう様々な規制やルールを作り、新しいビジネスや活動を邪魔しているということです。それが日本のイノベーションを阻害し、日本を世界の競争から脱落させる原因になっている気がするのです。

 AirbnbやUberは、ホテル業界はタクシー業界への新しい形の参入を果たしました。利用者にとって不利益となるシステムをよりよくするため、今までにない新しい形でのビジネスを展開し、その有無を利用者に判断してもらう、というのがこういったベンチャーのスタンスです。米国はこういう新しいチャレンジを阻害するルールを国として作りません。なぜならば米国は、無法の国だからです。

 もともと米国は、アメリカ先住民の国でした。しかしそこにヨーロッパから沢山の移民が流入し、アメリカという国を作ってきました。アメリカ先住民からすれば彼らは無法者であり、彼らの信じる独自ルールで先住民から土地を奪い自らの国としてきました。彼らはフロンティアスピリッツという名目で、その無法の中で自由に活動することを認めていますし、その思想は今でも変わりません。無法の中で競争を行い、一定の安定の後に多くの人間に不利益にならないようなルールを作るのが米国の考え方のようです。同じくアメリカンドリームいう活動も、既存の市場に縛られない新しいビジネスや商品を提供することで、名もなき一市民でも自らの努力や才能で巨万の富を得られるという考え方といえます。こういったチャレンジ精神は、無法の状態を認めているということが出来るでしょう。

 こうした米国の精神は、世界の警察として自らを名乗るところにも表れます。米国の都合の良いルールを他国に押しつけるのは、まさに無法者のやり方です。なぜならその国の法やルールを無視し、米国の主張するルールのみを正しいと押しつけるのは、無法以外のなにものでも内容に私には思えるのです。こうした無法さを学んでいるのが現在の中国であり、だからこそ世界の常識や他国の法を無視してでも自国に有利な状態を作ることができるのでしょうし、その言い訳は米国の過去で立証できます。

 こういった無法という精神がなくなると、新しいものが生まれにくくなります。新しいものは何らかの形で既存の市場や文化と異なるものを提示してきますし、既存の市場や文化からすればそれは無法だから認められないと閉め出すことが出来るからです。さらに既存の市場や文化を創ったのが大きな組織や企業であればあるほど、新しいものを提供する組織や企業とくらべて大きな力を持ちますから、新しい製品やサービスを提供することを阻害することができるようになってしまいます。

 あるところに、バスの停留所がありました。その当時はほとんど田畑の土地に、ぽつんと一軒家が建っていたため、バス会社はその家の前に停留所を作ったのです。しかし十年ほど時が過ぎたとき、裏山を切り開いて街が出来ました。その街に沢山の人が移り住んできましたが、その街から今までのバス停まで20以上歩く必要がありました。街の住人はバス会社に、停留所を動かすように依頼します。しかし元々あった一軒の家は、自分がなぜわざわざ20分も歩く必要があるのか、もう一つバス停を作れば良いのではないか、とバス会社に主張します。しかし新たに街の前にバス停を作っても、もう一つのバス停を経由すると駅まで10分余計二時間がかかってしまいます。結局たった一軒だからその家に我慢してもらうことになり、バス停は廃止されます。

 その数年後、新しい街のさらに裏の山が切り崩され、新しい街が出来ます。いままでの街のバス停まではやはり20分かかってしまうため、新しいバス停を作ることになります。しかし街のさらに奥までバス順路が延びるため、駅まで10分余計にかかってしまいます。新しい街の規模は従来の街の二倍以上規模であり、バスさえ伸びれば住民が増えることからバス会社の収益も高まり、乗車人数の激増によりバスの増便やそれぞれの街への直行便が作られる可能性もあります。となると、既存の街の住民も奥の街にバス停をつくることには大きなメリットが期待できます。しかし現状はバスがないため、奥の街はまだ5%程度しか住宅が建っていません。奥の街にバス停を作れば両方とも栄えるはずなのですが、現時点ではまだ奥の街は人が少なく、確実に増える保証はありません。この場合に、既得権益の問題が起きます。

 古い街の住人の多くは、こう考えます。現状奥の街とこちらだと、住民数の比率が10:1と少数である。奥の街にバス停を作っても、本当に住民が増えるか解らない。さらに遠いことから、車で通勤する人間のほうが多いだろう。だからわざわざ遠回りになる奥の街にバス停を作らなくても、住民が増えてから考えれば良いのでは、と。これが既得権益の怖さです。

 自分たちが市場を形成するときは他者の積極支援は必要だが、他者が市場を侵しそうになるとそんなものに対する支援の必要はない、むしろ何か問題が起きるかもしれないからなんらかの規制をすべきである、と権益を持っている人間は考えてしまいますし、この感情が新しい市場が生まれることを拒否してしまうのです。その新しい市場が、結局既存の市場にとってもメリットをもたらす可能性があっても、現状だけに着目してそれを変えることを拒むのが既得権益の最大の問題といえるのです。

 日本は、規制という名前で既存市場を保護し、新しい市場の形成を拒んできましたし、今も拒んでいます。結果として既存の市場は徐々に衰退するにもかかわらず、新しい市場が生まれないことから国全体が成長できません。これが現在の日本の状況であり、イノベーションの出現を阻害する大きな原因となってしまっています。

 競争は自由です。しかし力のあるものが、競争そのものを拒んではいけません。さらにいかなるビジネスも、競争の開始時点では必ず弱小からスタートします。となると、公平の名の下弱小を保護しなければ、新しいビジネスなど生まれるはずがありません。アメリカンドリームの原点は、スタートアップする企業がある一定の規模、ないしは市場を握るまでは大手の企業や組織はその成長を邪魔しない、という不文律です。これがあるからこそ新しいビジネスが次々生まれますし、よりよい競争が生まれます。残念ながら日本には、こういった不文律が存在しないだけでなく、事実として新しいビジネスを大手企業が邪魔したり奪ったりする風土があります。こういった既得権益を守り、自分だけが競争をしなくても有利な状態を維持し続けられる風土を、我々は変えていかなければなりません。

 日本のイノベーターを守るのは大企業の役割であり、ノブレス・オブリージュ(Noblesse Oblige)といえるのではないでしょうか。