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Weekly report

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 April Fifth week

 一日だけ残った、四月最終日のWeekly Reportです。いよいよ世間はゴールデンウィークに突入しました。疲れのたまった新人さんには恵みの一週間でしょうし、疲れたお父さん達には、家族サービスという疲れが新たに始まる一週間かもしれません。いずれにせよいよいよ五月突入で、今年も1/3が終わったことになります。

 さてWeekly Reportですが、連休中のため、今回は少しだけ軽い話題を一つ。あのセガが、家庭用ゲーム機分野に再進出するようです。とはいえ全く新しいゲーム機を開発したのではなく、過去の名作であったセメガドライブを小型化し、複数のゲームを搭載して発売されるようです。

 この動きの口火を切ったのは、任天堂です。2016年に往年のファミリーコンピュータを小型化した機器を発売し、絶大な人気を博しました。昨年はスーパーファミコンの小型化も図り、昔懐かしいタイトルに惹かれたマニアがこぞって購入して一定の人気を保っているようです。

 ファミリーコンピュータやスーパーファミコン、ニンテンドー64のライバルが、SONYのプレイステーションやプレイステーション2であり、セガのメガドライブやセガサターン、ドリームキャストでした。当初はカセット型のソフトであったものの時代と共に容量の大きなCD-ROM化されたソフトになり、ゲームの動きや画像が急速に発達したのもこの頃です。やがて米国のマイクロソフトもXboxを持って市場に参入し、国内外で市場占有率を競うことになりました。その過程でセガは親会社のCSKの衰退と共に体力を失っていきました。WindowsCEを使っていたドリームキャストのソフトをXboxで継続するようセガはマイクロソフトと交渉したものの結局交渉は実らず、セガは家庭用ゲーム機市場から撤退することになりました。

 さて今回セガが復活させるのは、最終機となったドリームキャストではなく、二世代前のメガドライブのようです。セガサターンやドリームキャストはメガドライブとの互換路線を捨てハイスペック化を実現したゲーム機ですが、OS上でさまざまな特殊な動作が出来るようプログラムを作り込みすぎたようであり、今回の移植には至らなかったようです。

 今回発売されるメガドライブですが、Androidで動くメガドライブエミュレータを介して動作するようであり、ゲームの機能も移植できるようです。技術の進歩は素晴らしいと思いますし、往年のソフトウェアをゲームすることで感傷に浸るユーザも少なくないのでしょう。

 しかしこう考えてみると、情報技術の進歩がめざましいことが解ります。開発当時は専用にチューニングされたプラットフォームを利用し、より高度で細密な画面を表示させ、ゲームの複雑性を高めながらもテンポ良く展開するよう開発を行ってきたはずです。ゲームクリエイターの頭の中にあっても、複雑すぎるあるいは処理能力が低すぎて実現できなかった機能も少なくないはずです。その中で工夫を重ねて実現した様々なことを、現代の機械はいとも簡単にスマートフォン上で再現して見せます。この状況は未来も変わらないでしょうから、現代の複雑な3Dゲームも、やがてはスマホのような簡易なデバイスで実現することができようになるのかもしれません。

 このように技術の進歩は人間の想像を超える世界まで来ています。しかし技術は技術であり、その前に人間の想像力が常に試されます。逆に人間が創造し得なかった動作やストーリーを技術が自ら生み出すことはないでしょうし、人間の感性に合った内容となるとあと数十年は実現が出来ないと思われます。となるといつの時代も我々に大切になるのは、豊かで無限な想像力なのでしょう。

 このページでも再三申し上げてきましたが現代の若者には、考える力のひとつである想像力がほぼありません。想像しなくても豊富にものや情報がありますし、想像するよりリアルで充実しています。しかしながらそのことが、若者から想像力を奪ってしまっています。さらに学校では、相変わらず記憶中心の教育を行っており、想像力を強化する訓練がなされません。そうやって想像力を鍛えぬまま多くの若者が社会にデビューしているのが現在の状況です。となると、技術の進化と人間の想像力のバランスが狂い、日本から新しい発明や発見が生まれにくくなってしまう可能性が高まっていることがわかります。

 この状況を変えられるのは、若者だけです。彼らが技術の素晴らしさと面白さに気付き、同時に不便と不足を見つける。その上でこれからの技術を想像し、それを生み出していく。このサイクルが回らないことには、日本の将来がないことを、私は憂うざるを得ません。