先週は、ゴールデンウィークでした。私は熱川の海潜亭でシェフを行って行っておりましたが、三日の営業と合間の畑仕事で、体がぼろぼろになりました。本当に歳を喰いたくないものです。
さてゴールデンウィーク中は、銀座線が一部区間で休止したようです。渋谷駅の再開発に伴い、上り下りで別れていたホームを統合するため場所を移動させる必要があったためのようですが、それに伴って別区間の整備も同時に行われたようです。渋谷の完成は2027年とずいぶん先ですが、それでも少しずつ街の様相が変容するのはややもの悲しいものを感じます。山手線の車窓から見る風景もずいぶん変わり、記憶にある古く懐かしい街並みはすべて工事現場になっています。完成後は綺麗でおしゃれな街になっているのでしょうが、新宿の思い出横丁のような猥雑な雰囲気が渋谷の特長のように思ってきた老頭児には寂しい感じが残ります。
私の住んでいる街や伊豆熱川もそうですが、日本中の街並みが大きく変化を迎え、昭和の街並みが日本中から消えているようです。これには耐震基準の影響が大きいとはいえますが、それ以外にも業績不振や後継者難により商店街や商業施設が廃墟となっていった影響も少なくないように思います。となると、新しくなった街並みには商業施設が減りますし、そこに入っている店もチェーン店などが多いですから街の特徴がなくなります。個性的な店は若者向けのおしゃれなものばかりになりますし、親父を慰めていた大衆酒場やスナックは街になくなります。消毒された綺麗な街は美しいですが、文化を感じる豊かさや匂いはなくなってしまいます。どこに訪れても同じような街並みであり、同じような食べ物しか並ばない飲食店は魅力が薄いように思えます。
日本は文化を大切にしてきたはずですが、地震や災害の都度その被害を軽減しようと法律が整備され、街並みそのものを安全で清潔に変えていきます。しかしそこには、長年で培われた土地の固有性や文化を破壊している事実もあると思います。日本は地震国ですから昔から地震は多かったですし、火事は江戸の華といわれるように火事も頻繁に起きてきました。そこで貴重な人命が失われるからこそ安全にしていかなければならないことはまったく賛成なのですが、安全性と効率性、経済性を優先するが余り、街並みや文化を保全しながらそれらを実現しようとする工夫がまったくなくなってしまっているように私には思えます。時間をかけてこれまでの街並みや文化を継続するように計画を立て設計・建築すればよいのですが、ただ安全が優先され、せいぜいはやりのデザインで味付けされた統一性のない、さりとて画一的な街並みが乱造されているように私には思えます。
実際企業であう外国人に話を聞くと、日本の街は同じような建物ばかりでつまらない、という意見をよく聞きます。名所旧跡のように意図的に保全した街は別ですが、それ以外の街はやはり画一的な街並みになって行っているように感じます。事実伊豆熱川の街並みも日々寂れていき、茅葺きやスレート屋根になっていきます。ごくまれに街中に新しい建物が建っても、パネルと使ったありきたりの住宅で都会の住宅と大差ありません。コンビニはまったく同じですし、ファミリーレストランもそのままです。地元で生き残った飲食店も徐々に廃業し、その廃墟だけが並ぶ商店街は伊豆の温泉町にもあります。(熱川温泉内の数軒の土産物とゲーム屋だけは奇跡的に昭和30年代ですが...そもそも客が入っていません。)
文化を大切にする京都でさえ、あの無粋な壁のような京都駅を作ってしまうのが今の日本です。私には後ろのビルが余計に思えますが、それでも歌舞伎座は少しだけ考えられデザインされたように思います。歌舞伎座は耐震性が現在の基準になりましたが、それでもかつての雰囲気をきちんと残した設計になっていますし、街のシンボルとしての形は保っているように思うのです。となると他のビルや街並みも、こういった工夫で残せるはずなのです。経済的な問題は残りますが、多くの箇所でその技術が使われるようになれば、街並みを残しつつ耐震基準を満たす建築方法が確立され普及するは絶対に可能です。
このように、人々が後の世の人に何を残したいかという強い意志が、街そのものの表情を残したり変えたりするはずです。ノスタルジーを大切にするという意味ではなく、歴史が育てた街と文化を、我々は今後どうしていくべきかを真剣に考える時期が来たように私には感じられます。