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 August First week

 北九州を地盤とする井筒屋が、宇部店、小倉のコレット、黒崎店を相次いで閉店することを発表しました。

 井筒屋は九州を中心に展開する百貨店グループでかつて2000億円の売上を誇ったこともあります。しかし近年の小売業の経営不振の波を避けることが出来ず、この結果になりました。小倉のコレットは旧伊勢丹、黒崎店は旧黒崎そごうですから、九州を地場とする百貨店でも地元の客をつかみきれず顧客離れを起こしてしまったといえます。日本中の百貨店やスーパーがこの苦境にあえいでいますが、この状況を激変させる決め手はなかなか見つかりそうもありません。

 こうやって考えてみると、Amazonを中心とするネットビジネスの影響は、リアルの店舗に対して膨大な影響を与えていることを再度認識せざるを得なくなります。かつて書店としてスタートしたAmazonは、一定額以上の購入で送料無料というサービスを開始し街中の中小書店の客を奪っていきました。やがてその利便性に気づいた多くの利用者が多種多様の書籍を購入することで、その在庫刷る書籍の種類の多さから差別化を図っていた大型書店からも顧客を奪い、結局全国の書店が相次いで閉店する事態を招きました。もともと利益率・収益割合の高い雑誌の購入客をコンビニに奪われていた書店にとって、Amazonのようなネット書店に最後の命脈を奪われたことになります。

 Amazonの取り扱い商品の拡大と共に、書店以外の様々な業種の小売店も被害を受けます。かつてスーパーマーケットが街中に進出した際には、工夫のない小売店はつぶれていきました。しかしその中でやる気をもった小売店は、ナショナルブランドを中心とした品揃えのスーパーに対し、百貨店の物産展にしか並ばないような様々な産地やこだわりの商品開拓を行い生き残ってきました。しかしAmazonは全国津々浦々のあらゆる商品を取り扱いますから、こういった差別化も不能になります。これらはある意味生産者や製造工場にとっては、これまでのような販路拡大のための地道な努力を必要としない時代が来たことを意味しますから、喜ばしいことなのかもしれません。 しかしその結果として在庫を抱える小売店は次々とその暖簾を降ろすことになります。それは百貨店やスーパーも同様であり、在庫を持った業種はAmazonの仮想の在庫の前にはもはや戦うすでがなくなることになります。

 Amazonは全国に多くの高機能な倉庫を持ち、さまざまな商品を届けます。現状は運送業の負担軽減から当日配送は取りやめていますが、それでも注文の翌日に多くの商品が届きます。今日の夕飯に必要な調味料を届けることはできなくても、翌日の昼食には間に合うことが多いため、買い物に行くより便利で簡単に多くの商品を手に入れることが可能になります。かつてアスクルが作り上げた文房具を社内に備蓄しなくても「明日来る」環境をあらゆる商品に対して行ったわけですから、Amazonの功績は非常に大きいといえるでしょう。しかしその反面街中の百貨店、スーパー、小売店を根こそぎ駆逐しているわけですから、その意味でも罪も同様に大きいように感じます。

 ここまで考えてみると、日本人全体の消費行動がネットへの依存度が幾何級数的に高まっているということ がわかります。いまや年間の1/3を私は伊豆の熱川で過ごしていますが、近隣の永住者は確実にAmazonに頼っています。平均年齢は間違いなく70代ですから、団塊の世代はPCの利用について何の問題もないことが証明されています。ネットとネットビジネスさえあれば都会に出なくても暮らせますし、ビールや水などの重量物も玄関先まで届けてもらえますから老齢になっても斜地の田舎でも暮らせるのです。

 このように日本全体、世界全体がネットを中心に回り始めているのは事実です。しかしこれだけリアルの店舗が閉店すると、逆に心配になってきます。すなわちネットビジネスがライフラインになってしまうと、ネットやネットビジネスに異変が起きた際に非常に大きな影響が生じる可能性があるということです。たとえば地震等の広域災害が発生した場合、長期間にわたりライフラインが途絶します。付近に食品や生活用品の小売店があればそれらの在庫で対応出来ますが、これだけリアル店舗がなくなると、多くの人がコンビニに殺到します。飲食物など生命を維持するために必要となる商品は、小売店やスーパーが駆逐された今、コンビニにしか在庫がないためです。しかしコンビニには倉庫がなく、店頭の商品が売り切れればあっという間に品不足になり、長期にわたりライフラインが切れてしまうことになります。

 さらにこの場合、交通が回復しない限り個別の宅配サービスは不可能ですから、ネットビジネスがライフラインに戻ることは長期にわたり困難です。近隣に店がない、ネットの商品は届かない、では被災地の生活がきわめて困難になってしまいます。さらに恐ろしいことを考えてみると、Amazonそのものが万が一の状態になると、日本のライフラインに巨大な欠損が生まれます。かつてAppleもそうであったように、隆盛を極めた企業も何か一つ躓きがあるとその存続が難しくなります。Amazonは世界企業で巨大だから特別、と考えがちですが、これだけ変化の激しいネットビジネスの世界ですから確実いうことはないでしょう。その空白を楽天が埋めて、という可能性もありますが、集中する物量を短期間に平準化することは難しいですし、さまざまな物流拠点のあり方も変わります。となると、簡単に他社がその地位と入れ替われる訳ではないと思います。

 最も恐ろしいのは、何らかの理由でネットが不通になることです。理論的にはインターネットはその安全性確保のために非常に多岐な対策が取られていますが、それでも近年世界的なトラブルは起きています。昨年8月にはgoogleを起因とするBGP(Border Gateway Protocol)の設定の問題が発生しており、日本のネットワークも影響を受けました。同様のことが起きる、あるいはテロ等で故意に起こされる可能性もありますから、絶対に安全とはいえません。

 このように、日本全体が徐々にネットへの依存度を高めている反面、まだまだ検討すべきこと、改善すべき事が山積みになっています。我々のような旧世代の人間は、新しい未来を描く想像力はもはやないと行ってもいいでしょう。その反面若者には豊かな想像力がありますが、過去の多くの問題や解決に対する経験値が低いといえます。だからこそ我々は、若者主導でよりよく素晴らしい未来を描く必要がありますし、旧世代は過去の経験を極力若者に伝授し、安全で確実な世界を築く協力をしなければなりません。災害のように甚大な被害が起きてから考えるのではなく、何も起きていない余力のある今、これからの社会を描き、その実現のためにすべての経験と知恵を合わせる時代が始まったように感じますし、それが遅れれば遅れるほど、脆弱で危険な日本になってしまうことを我々は忘れてはなりません。