早くも10月4回目のWeekly
Reportです。海潜亭の来客以来非常に仕事が連続しており、疲れ切ったまま毎日が続きます。とはいえ世界は動いており、考えなければならないテーマは無限にあるのですが。
さて世界中で、プラスチックゴミ削減の動きが活発になっています。もともとは先進国で始まった使い捨ての文化から、プラスチックはさまざまな分野で利用されるようになりました。当初は紙にコーティングした物やアルミ製の物がテイクアウト食品の包装材やトレイとして利用されていましたが、時代の変化と共に様々なプラスチック製品が登場し利用されるようになりました。例えば日本でも、テイクアウトのコーヒーにはトラベラーリッドと呼ばれるキャップが付いてきますし、ストローやスプーンもプラスチック製です。一緒にサンドイッチを購入すると、その包装もポリプロピレン製のカバーが付いていますし、フォークなどもプラスチック製です。
スーパーやコンビニで買い物をすれば食材のトレーはプラスチックですし、レジ袋ももちろんプラスチック製です。多くの食品や製品は様々なプラスチック製の包装がなされていますし、飲み物もペットボトルやビニール製の容器に入っています。総菜コーナーの入れ物もプラスチックですし、フォークやスプーンもプラスチックです。このようにプラスチック製品は日常生活のあらゆるところで使われており、もはやそれなしで生活をすることが難しくなっています。
石油から生まれた製品であるプラスチックは、その安定した性質と軽量な特性からさまざまな分野で利用されるようになりました。さまざまな生活資材や包装材はもちろんのこと、自動車の部品や住宅、道路や橋梁まであらゆる箇所で使われています。これまで紙やガラス、木材、金属類しかなかった部品・製品分野を軽量で丈夫なブラスチック製品が置き換えてきており、今後もこの状況は変わらないでしょう。しかしプラスチックはその安定性から自然に戻ることができず、人工的な処理が必要となります。適切な処理をせず地中等に投棄したプラスチックは、紫外線により破損することがあってもそのままの形で何十年も残ることになります。さらに河川や海に投棄されたプラスチックは、流れと共に削られマイクロプラスチックになって海底等に堆積します。それらを魚や動物が食べても、分解されないことから対内に残留し環境や生態系に問題を起こす、というのが近年話題になったことです。
こういった問題を少しでも解消するために、世界中でレジ袋を有料化したり廃止したりという運動が起きていますし、ファーストフードチェーンなどのストローも廃止しようという流れが生まれています。日本でも有料化の動きが強くなっており、大手スーパーチェーンの多くがこの動きに賛同しています。エコ意識が高い方は昔からエコバックを持ち歩かれていたかもしれませんが、ここにきてさらにレジ袋やストローなどの製品を制限しようとする動きがあるのは望ましいことであることは間違いありません。
しかしながらもともとレジ袋で使われているポリエチレンは、石油生成過程の副産物で利用価値があまりない液体のものだったようです。偶然から繊維として利用できることが解り、現在のように利用範囲が広がりました。レジ袋は利用法としてはきわめて効率的なものだったようです。レジ袋の生産量とそれに利用される石油のバランスを考えてみるとそれほど大きなものではないので、石油エネルギーの消費という観点では問題はないようです。一説によると可燃性も高いため、スーパーのレジ袋でゴミを捨てると焼却炉の燃焼促進剤代わりになるようです。となると、適正量のゴミ袋が捨てられることは大きな問題ではないのかもしれません。
となると、ゴミ袋が大量に流通することが問題というよりも、こういったプラスチック製品の廃棄方法が問題のように思えます。日本のファーストフードにおけるストローの回収率は、他国に比べて高いようです。ゴミを道路に捨てる不届者もいるでしょうが、ほとんどの人間はきちんとゴミ箱に捨てます。災害時などの非常事態以外河川等に無制約にゴミが流れ込むことは少ないでしょうし、不法投棄はあっても大量のゴミが川面を浮いていることは少ないと思います。となると、日本ではプラスチックゴミの問題は比較的少ないように思います。逆にエコバックに使われているのもポリエステル等の化学繊維ですから、そのゴミの処理を誤ると同様の事態になります。となると問題の本質は、やはり投棄方法にあるように思います。すこしでもプラスチック製品を減らすことも大切ですが、環境に対しては不法投棄を防ぐことが一番重要に思います。
昔を思い出してみると、私が子供の頃はスーパーの袋は紙製でした。流通する多くの飲み物もガラス瓶に入っていましたし、リユースやリサイクルが前提になっていたように思います。味噌は樽から経木(木を薄くスライスしたもの)や紙に包んで買ってきましたし、肉やコロッケも同じでした。卵はパックではなく新聞紙に包んで買ってきましたし、お買い物に籐などのカゴをを持って行くことも当たり前でした。プラスチックの様々な包装資材やバッグがなくても日々の生活は回っていましたし、ある意味エコな生活でした。それが利便性と軽量性でプラスチックが普及し当たり前のように使われるようになりましたが、それがなくても生活は回るように思います。
さらに考えてみると、世界中で樹木が切られてきたからこそ、その代わりとしてプラスチックが普及してきた側面もあります。いまや少数派になりつつある割り箸も、プラスチックのはしに置き換わっています。環境負荷を考えるとどっちもどっちのはずですが、その時代のはやりで考え方が左右するのは仕方がないことなのかも知れません。
プラスチックのゴミ袋やストローにせよ割り箸にせよ、要は無駄を無くすことが大切なだけのように思います。何かを悪者にすれば次の悪者が生まれますし、そのサイクルは続いていくように思います。そろそろ人類は過去から学び、事態が判明してからヒステリックな対応をするのではなく、その利用の時点で本当にそれは問題がないのか、問題が起きるとすれば何か、その問題を少しでも解決するためにどのような手段や方法を採る必要があるかを慎重に考える必要があるように私には思えます。