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Weekly report

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 January Fifth week

 早くも一月も最終週になりました。この調子ですと、あっという間にまた年末が来そうですね。

 さて先日の報道で、Tカードを主催するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)社が、Tカード利用者の個人属性や利用情報を警察に提供していたことが解りました。捜査令状に基づき利用者の個人情報を提供するのは違法とはいえませんが、2012年頃からは令状がなくても要求があれば個人情報を提供していたようであり、CCC社のあり方を問題視する声が上がりました。これまでのTカードの利用規約には。「令状がなくても照会があれば個人情報を捜査機関に提供する」趣旨の記載はありませんでした。CCC社は、「犯罪者が捕まれば、よりよい社会に貢献できる」として情報を提供してきたことを認め、今後は利用規約を見直す旨をあきらかにしました。

 インターネットの普及とIoT社会の実現はこういった問題を内在しており、我々はこの負の側面についても検討を重ねなければなりません。「犯罪者が捕まる」ことを危惧する方は少ないと思いますが、そのために善良な人間を含めた個人情報が公的な機関に無断で提供されるのは、決して望ましいことではありません。

 Tカードのようなポイントが付与されるカードは利便性が高いですが、同時に個人の消費行動とともに移動履歴を残してしまいます。朝と夕刻はA駅のコンビニで買い物をし、日中はB駅付近のコンビニで買い物をするといった履歴が残れば、かなりの確率でA駅付近に居住しB駅付近に通勤・通学をしていることが解ってしまいます。個人情報には住所や性別、年齢といった内容がありますから、利用履歴とポイントから逆算した利用額、個人情報を突き合わせればその個人の行動がかなり推測できます。さらにその履歴を基に利用店舗で利用状況を確認すれば、なにを買ったかまでが全部把握されてしまいます。さらに長期間のデータを捕捉・整理すれば、どこの出身でどのような行動をする可能性があるかが解りますし、利用地を追っていけば出身地や友人、出張先も判別できるようになるでしょう。購入した物品によっては訪問の目的も判明しますし、一人か複数の人間と一緒かも推測可能になります。

 これらをすべて犯罪者に適用するのであれば、どこに逃げる可能性があるか、現在どのあたりに潜伏しているかをかなりの確率で推測できますから、捜査には有利になるでしょう。しかしこれを犯罪を起こしていない人間に適用すると、冤罪の可能性や国の考えに沿わない人間を恣意的に逮捕することなどに利用できてしまいますから、非常に危険です。

 今回の一番の問題は、これを一民間企業が独自の判断で行ったことです。利用する人間はそういった事が起きない事を前提に個人情報を提供していますが、それを独自の判断で勝手に再利用されてしまうと、プライバシーはないに等しいといっても過言ではありません。ましてやそこで仮に情報操作が行われるとなると、危険以外の何物でも無いように思われます。

 たとえば近隣の街で性犯罪が発生していたとします。その企業の中で気にくわない社員がいれば、その人間を犯人にしてしまうことは容易にできる可能性があります。グループ内の店舗で何かを購入したことが解れば、ロープや包丁を購入したように購入履歴を書き換えてしまいます。レンタルDVDを借りたのであれば、そういった傾向のアダルトDVDをレンタルしたように履歴を書き換えてしまいます。同じく性犯罪が起きている街にその社員を出張させれば、行動履歴だけをみると犯人と思わせるような証拠をねつ造する事は可能です。逆にそれを利用する公的機関が同様の意図で情報を収集すると、完全な冤罪を生むことは可能ですし、国の方針と違うことを主張すれば、その人間を何らかの犯罪の犯人にすることもできてしまうのです。

 このように個人情報の取り扱いは、その個人の人権を守る意味で非常に重要となります。インターネットの出現によって、個人情報はあらゆる方法ですべての属性を含めて収集されてしまいます。複数の企業が持つ情報を統合することも可能ですし、そこから様々な事象を読み取ることも可能です。だからこそ我々は、その情報が国や一企業が恣意的に利用することを認めてはなりませんし、その利用の危険性を全員が認識しなければなりません。今後は様々な情報技術とデバイスの進化があらゆる情報を自動的に収集するようになりますし、人間のすべての情報がネット上に集約してしまうことも想像に容易です。さらに情報技術が進めば、それらを痕跡を残さず書き換えることもできるようになりますから、より情報の取り扱いと客観的な監視が重要となります。

 こういった問題を防ぐためには、今後ネット上の情報をどうしていくべきなのか、すべての人間が考え始めなければ行けません。国や企業に都合の良い仕組みを勝手に作られる前に、すべての人が自分の事として情報をどうしたいのかという意思を明確にし、その上で客観的に情報の無断利用や恣意的な操作を防ぐ仕組みや機関を作り始めなければならないのです。逆に今それを考え始めないと、より危険な時代が始まることに我々は気づかなければなりません。