3月3週目のWeekly Reportです。先週末の来客と今週の仕事で、更新が遅れましたことをお詫びします。
さて4月から大企業に対し、働き方改革関連法案が施行されます。(中小企業は2020年4月から)これまで36協定に依拠したため定められていなかった残業時間の上限が定められ、月45時間、年間360時間になります。臨時的で特別な事情がある場合は年720時間、単月100時間未満、複数月平均80時間を限度としなければなりません。また年次有給休暇も10日以上保有している労働者に対し、時季を指定して5日間取得させなければなりません。このように今回の働き方改革法案によって、従来の36協定よりも明確に残業時間の上限が設定される異なりました。
これによって過労死や心身に異常を来す事態が軽減されることは、働く人間にとって非常に望ましいと思っています。しかしながら生産性の改善を前提としない残業時間の制限は、企業全体の価値創造の支障に繋がる可能性があります。日本のホワイトカラーの生産性は、OECD加盟国36各国の中で21位、G7の中ではダントツの最下位です。価値の伴わない働きや残業前提の業務構造が、この生産性の低さの原因と考えられますが、それでもこの数十年この状態が続いているのは異常としかいいようがありません。その上で残業の制限をかければより労働時間が短くなりますから、生産性の改善を積極的に行わないかぎりより低い結果が予想されてしまいます。
IoTやAI、PRAなどの最新ITの導入によって、人間の働きは軽減されるかもしれません。それは1日の中で付加価値の低い仕事が自動化され、より付加価値の高い仕事にシフトできることを意味しているはずなのですが、それを理解出来ているビジネスパーソンや管理者、企業経営者がどれだけいるかが本当に問題です。働きに対して価値を生んでいるかを常に考え、価値が生まれない仕事は
やめる、価値の低い仕事は低単価の人間やITにシフトする、価値の高い仕事を積極的に拡大する、といった行為が伴わない限り生産性は高まりませんし、逆に残業を規制するほどこなせる仕事量が減ってしまい、結局低採算性がより酷くなるように感じます。
私が生まれた昭和30年代は、高度成長まっ盛りの時代でした。それでも夏休みのラジオ体操には多くの大人が訪れましたし、父親と一緒に夕食を囲むのは普通の風景でした。休みの日に家族と出かけるのはあたりまえでしたし、深夜は人が歩いていない静かな風景がいたるところで見られました。心や体を壊したということも余り聞きませんでしたし、物はなくても人々は幸せに暮らしていたように思います。
それを考えるとこれだけ物とサービスがあふれている反面、多くのビジネスパーソンが限界まで働いています。6時発の早朝の電車ですら満員ですし、終電も客であふれています。決して酒を飲んだ風でもない疲れたビジネスパーソンがぐったりとした顔で帰宅の途につき、翌朝も早くからでかけるのです。それでも十分な給料をもらえず、将来に不安を持ちます。働いても働いても生活が楽になるという実感は薄いですし、子供の成長を喜びながら貯金の不安を持たなければなりません。
こう考えてみると、我々は何のために働き、なにを求めているのかをもう一度考え直す必要があるように思います。そうすればこの生産性の問題も根本から解決できるでしょうし、早朝から深夜まで働かなくても豊かで幸せな日々を送れるようになるかもしれないのです。実際それを実現する考え方やテクノロジーは充実しているのですから、後は考え方を変えて、働き方をもう一度見直すだけで人々が幸せになれる可能性があることに気づく必要があるように私には思えます。
今回の働き方改革法案は、働く人間すべてを幸せにするのではなく、より厳しく辛い時代を作る可能性があります。だからこそ我々はこれをきっかけに、働き方と仕事の仕方を今まさに見直す好機を得たと考えるべきだと私は思っています。