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Weekly report

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 April Fifth week

 いよいよゴールデンウィーク 突入です。今年のゴールデンウィークは10連休と同時に、平成の終わりと令和の始まりの週となります。この記念すべき一週間は、どのように過ぎていくのでしょうか?

 平成とともに私のビジネス人生が始まったように感じます。新人として入った会社の現実の酷さに転職し、監査法人で平成を向かえました。平成に入って二度のリストラを喰らい、その都度必死に仕事を確保し自分の命をかけて仕事をしてきたような記憶があります。

 当時のマネージャに陥れられてコンサルティング会社を突然リストラされてから小野村システムコンサルティング事務所として独立し、師匠のコンサルティング会社に在籍し、仲間と静岡の会社とで別のコンサルティング会社を設立しました。三つ並行の仕事は寝る時間を失いましたが、合間合間の仕事がない期間はのんびりCDを聞きながら機器の実験や学習などができたのは、本当に楽しい日々を送れたのかもしれません。当時は朝夕にCDショップに寄ることが楽しみであり、世界中の様々な曲を聴いていました。

 並行して請け負った監査法人のパートの仕事では、日本中に出張しました。大手通信業の主査であったため、毎回2週間程度の出張を日本全国で行いました。若気の至りで毎日数軒の飲み屋に回りましたし、仕事の合間にさまざまな観光をさせていただいたのも思いで深いです。出張は一年中ありましたから、豪雪の中の北海道や東北の出張もありましたし、酷暑の中での西日本もありました。毎回オフィスだけでなくさまざまな工事現場やセンターを見に行きましたので、その移動距離だけでも相当なものになりました。

 四十歳前にはコンサルタントの卒業試験として、(株)アイティアシストを師匠と仲間で立ち上げました。当初は人材派遣という第三の雇用形態を目指した企業でしたが、当面は我々の強みを活かすため研修事業も始めました。その後人生最大の失敗であるとある事件を引き起こし、師匠と歩んだ十数年が終わりを告げました。「ベンチャー企業はキツイうちは団結するもんや。しかし金が儲かり始めるとヤバイ、かならず仲間割れが起きる」という師匠の言葉は、いまでも心の奥深くに突き刺さっています。私のすべてをつくった師匠との別れは自分の死以上に辛いものでしたが、その後数年続く経営危機を乗り切り、やがてビジネスも軌道に乗っていきました。私も隠居を名乗りその後20年近くを頑張ってきましたが、最近は若い世代が頼もしく働いてくれていることを嬉しく思える年齢になってきたように思います。

 2011年3月11日の東日本大震災は、私の確実な転機になりました。三十歳代から年数回のダイビング休暇をとっていましたが、東日本大震災の映像を見て人生の残りは少ないかもしれないと感じ、熱川に居を構えて夢の田舎暮らしを始めました。田舎暮らしは自分で思っていたよりずっと自分に合っていましたし、いい意味で人生のペースを変えることができました。結果として五十歳を超えてからは小野村事務所としての活動を徐々に縮小し、熱川の自然の中で日々を過ごすようになりました。

 このように私にとっての平成は、仕事を中心とした激動の30年でした。私の年齢では令和をすべて生き抜くことはできないのかもしれませんが、人生の第三コーナーから四コーナーの最後の追い込みをしたいと思います。精一杯仕事をするのではなく年齢にあった仕事の仕方を模索し、同時に私の中にあるさまざまな思いや先達の言葉を積極的に残していきたいと思っています。同時に激動する世の中の水先案内人となり、少しでも多くの心ある若者を育て導いていきたいと思っています。

 自分が中心となって驀進する平成を終えて、自分が脇役として生きていく令和が始まります。とはいえ一人でも多くの若者が志をもって新しい時代を乗り切れるよう、老骨にむち打って頑張るつもりでいます。令和は多くの人々にとって、良い意味の変革の時代として歴史に刻まれることを望みますし、同時に日本がこのまま平和であり続けることを心から願っています。