いよいよ令和が始まりました。平成という激変の時代を一旦終了し、新しい時代が幕を開けたのです。いよいよ私も三つの時代を生きた過去の遺物のようになってきましたし、新しい時代に何を残せるのかを真剣に考えるようになっています。
先週は平成の終わりということで、私自身の平成を振り返ってみました。今週は令和のはじまりということで、平成という時代を振り返ってみたいと思います。平成を語るためには、やはり昭和を振り返る必要があるでしょう。ひょんな事からゴールデンウィークに、Amazonの配信で「映画クレヨンしんちゃん
嵐を呼ぶ モーレツ!
オトナ帝国の逆襲」という映画を見ました。「大人が泣ける」というコメントに惹かれて見てみたのですが、泣けはしませんでしたが非常に懐かしく昭和の時代を思い出せる内容だったように思います。
私にとっての昭和の原風景は、やはり小学生までを過ごした東村山の地だったように思います。武蔵野の面影を残す東村山の団地で、小学6年生までを過ごしました。私の住んでいた団地は高度成長期時代に作られた巨大集合団地であり、4〜5階建ての建物が数十棟、2階建ての建物が同じく数十棟という大型の物でした。団地の入り口には商店街があり、肉屋、魚屋、卵屋、かしわ屋、八百屋、豆腐屋、お菓子屋、パン屋、酒屋、雑貨店、文具店、薬屋、理髪店などがありました。それ以外にも数軒の飲食店がありましたし、町医者もありました。歩いて10分ほどの駅前には大きな商店街とスーパーマーケットの西友がありましたが、基本的な買物は団地の商店街ですべて済んでいたように思います。
商店には今に比べても、多くの商品が並んでいました。夕刻ともなれば買い物客がひっきりなしに訪れますし、どの店も活気がありました。西友に行けばすべての商品があったように思いますが、街の商店街全体で考えると、スーパーマーケット全体よりもより多くの商品を取り扱っていたように思います。もちろん寝具や衣類のように商店街では売っていない物もありましたが、それは駅前の商店街に行けばそれぞれの専門店があり、そこで調達することはできました。つまり基本的には歩いて行ける距離に生活で必要となるあらゆる商品を扱う店舗があり、高級品や宝飾品などの特殊なもの以外地元ですべて住んでいたというのが昭和の風景でした。事実小学生時代は、クラスの何割かは近隣の店舗の子供だった記憶がありますし、その店に買いに行くと友だちが店番をしている、といったことも普通だったように思います。
もちろん今とは違い24時間開いているコンビニエンスストアはありませんでしたし、ほとんどの店は6時頃には閉店してしまい、夜の7時で開いている店は、飲み屋か酒屋、薬屋ぐらいでした。スーパーマーケットに至っては、夕方5時には閉店していた記憶があります。とはいえほとんどお店は住居が兼用でしたので、急病人がでたり翌日学校で必要な文房具などがあれば、頼めば医者やお店の人が起きている限りは対応してくれていた記憶もあります。
このように昔は不便だったかといえば、それがあたりまえであったため不便さを感じたことはありませんでした。今のように日本中、世界中のものを手に入れることはできませんが、同時に情報も無いためそれが欲しいと思うことはありませんでした。コンビニはなくても早朝や夕刻に豆腐や納豆をリアカーや自転車で売りに来ましたし、屋台のおでん屋やラーメン屋が深夜の街を回って温かい食事を提供していることも普通でした。駄菓子やで何時間もたむろする子供が普通にいましたし、ゲームはなくてもビー玉やメンコがあり一日中遊ぶことはできました。
さらに買物にカゴを持って行くことは普通でしたし、商店も経木や新聞、油紙を使って商品を包んでくれました。卵を一つ、買うことができましたし、それぞれの生活に合わせてあらゆるモノを量り売りしてくれていたように思います。瓶は基本的にリサイクルでしたし、豆腐などもボールをもって買いに行きました。ゴミは少なく、食品の廃棄もほとんどない社会だったように思います。
しかしよくよく考えてみると、当時の冷蔵庫に冷凍庫はついていませんでしたし、それは多くの商店もそうでした。となるとそれほど長期に食品を在庫することができませんから、肉や魚、野菜や卵などは基本的にその日で売り切っていたように思います。流通過程も同様ですから、街中どこの店でも当日ないしは前日にとれた肉や魚を当日販売していたのであり、きわめて新鮮なものを安全に売っていたように思います。大学時代に住んでいた明石の魚棚という商店街もそうでしたが、当日売り切ることができないと翌日加工品として値段を下げて売らざるを得ませんから、やはり新鮮な物が流通していたように思います。もちろん遠方の魚種を仕入れることはできませんから限られた種類しかなかったのでしょうが、それでも地産地消でエコな社会であったように思います。このように昭和の時代は、今のように情報がない分、エコでやさしい時代だったように思います。
しかし平成に入ってIT化が急速に発展し、これまで不可能といわれてきたことがすべて可能になってしまいました。インターネットは小売業のあり方を根本から変えてしまいましたから、ネットの上に商品はあふれても近隣の店舗には商品がない時代になってしまいました。世界中のあらゆる商品の情報がある反面、実際にそのものを見る機会は減りました。想像だけで憧れる時代は終わり、どんな高級品でもネット上の画像や商品情報を丹念に眺めることが可能になりました。上には上があることを知り、今持っている物に対する満足感や大切さはなくなりました。
このように世界中の多くの商品を手に入れることが可能になった豊かな社会は、心の貧しさを生むようになりました。心に抱いた不満を飲み屋でぼやいたり体を動かすことで発散するのではなく、目に見えない形で他人を攻撃することで発散する時代になりました。モノに対するあこがれがなくなり、同時に満足もなくなりました。旅の記憶は心を豊かにするのではなく、インスタグラムで自慢する要素になってしまいました。多くの情報や記憶が無限にコピーされて再生産され、やがて消費される時代になってしまいました。あらゆるモノが簡単に手に入り消費されてしまい、時間のかかる本物は要求されない時代になってしまいました。
こう考えてみると平成の時代は、日本の原風景を大きく書き換えた時代だったように思います。不便で満たされない日常生活を、とても便利で過ごしやすい豊かな生活に書き換えた時代であったように思うのです。しかしその反面モノと情報があふれ、多くのモノが消費される時代になったようにも思います。しかし物質的な豊かさは、人々の心の豊かさを奪い、時間を奪いました。豊かな生活を維持するためには多くの時間を消費して働く必要がありますし、自分の時間を削られることは心を削ることになりました。こうして昭和の時代には考えられないほど自殺が増え、特に子供の自殺が増えてしまいました。
令和の時代は、こういった平成の歪みを正す時代であって欲しいと願います。平成の良さを無くさず、無くしてしまった昭和の時代の良さを取り戻す時代であって欲しいと心から願っています。社会の構造が大きく変わり、心の豊かさが大切にされる時代であって欲しいと思います。老若男女、性別や年齢を問わず働ける時代になって欲しいと思いますし、正直さと正しさが求められる時代であって欲しいと思います。個人の身勝手を許すことなく、多くの人が助け合える時代であって欲しいと思います。安全で便利で住みやすく、生きがいのある街や社会になって欲しいと思います。だからこそ我々昭和を知っているオールドエコノミーが最後の一踏ん張りをすべき時代なのでしょうし、これからの若者のために、最後の一肌を脱ぐ必要があるようです。
さあ今こそ立ち上がれ、昭和を知っているおじさん、おばさん!