先週米国のメジャーリーグにおいて、大谷選手がサイクルヒットを達成しました。100年をこえるメジャーリーグの記録の中でも300人ほどしか達成できていない記録ですから、相当難しい偉業であることが解ります。それを24歳の若者が達成したということに本当に驚かされますし、二刀流のうちの一本の刀の切れ味と考えると、やはり不世出の人材であることは間違いありません。
大谷翔平選手のデビューは2013年で、日米通算でも6年の実績しかありません。しかしその道のりは凄まじく、天才の名をほしいままにしているといえます。投手としても6年間で46勝もしており、本塁打だけでも70本の成績を残しています。投手だけ、打者だけとみても24歳の若者にしては相当な成績ですし、それを両立していることは驚き以外の何もありません。昨年は肘の手術というアクシデントはありましたが、それでも今年は打者として期待を上回る成績を残していますし、シーズン終盤にかけてどのような成績を残すかが本当に楽しみです。
しかしその成績の裏には、おそらく常人が理解出来ないような努力があることは間違いありません。自らの才能に溺れることなく真摯な努力を続けたのでしょうし、誰もが成し遂げなかった二刀流を成立させるために想像を絶する練習を行った事は想像に難くありません。イチロー選手が言っていたように、あらゆるスポーツは頭を使って行う必要があります。対戦相手を分析し、理論的に成績が向上する方法を考え、それを実践出来るまで練習を続けるためには相当な頭脳が必要となります。天来クラスの選手でも投手か打者の一方しかできなかった情報量であるにも関わらず、大谷選手はその両方を処理しているわけですから、頭脳のすごさもよくわかります。
また絶対二刀流を成功させるという信念をプロ野球入りする前から持ち続け、それをプロの世界で貫き通した意思の強さも、18歳の若者としてはあり得ないものと思います。プロの世界で成功した大人が言うことをはねのけ、自らの意思で二刀流を貫き通し、成績で彼らを説得する姿勢はものすごいものがありますし、それを維持し続ける精神力も相当なものだと思います。
我々もそれぞれの分野のプロのはずですが、大谷選手のような努力を行っているかを自省しなければなりません。それぞれの活躍の場において、自らの役割を考え、そこで成果を出すための努力を行う。その活躍の場が高ければ高いほど求められるものも高いものになりますし、そこで成果を出すためには人並み以上の努力と研鑽が必要になるはずです。私自身も自分に求められているものを知っているつもりですし、それを提供するために努力することはあたりまえと思っています。それでもこの歳になっても舞台に上がる前は緊張をしますし、舞台の上では求められた以上の成果を残そうと必死に頑張ります。終わった後は山ほどの反省をし、その反省を無駄にしないためにまた努力を重ねます。それでは求められているものに足りているかは解りませんが、自分として精一杯の努力を重ねることだけは辞めませんし、プロとして活躍する以上今日より明日は少しだけ良くなるよう練習を続けます。
しかしながらそれをまったく考えず、何も努力をしない人間がいることも知っています。求められるものが高い水準であることを知っているにもかかわらず、相手をなめてまったく練習をしない。学習もなければ、理解もせずにその場に上がり、適当なことをして時間をつぶし、困難からは逃げる。そのくせ人の本質を何も見ようとせず、表面的なことだけで堂々と人を評価する。そんな人間がプロを名乗り、人前に立ち、卑しくもお金をせしめているのを見ると、同じプロとして許せない気分になります。
我々はプロとして、常に自らを磨き続けなければなりません。そして努力をしない人間を、その舞台から追い出さなければなりません。逆にどうあっても舞台に立ち続けたいなら、人並み以上の努力を重ね結果を出さなければなりません。人並み以上の努力をしても、結果が出なければその場から去らなければなりません。それがプロの条件ですし、プロとしての矜持です。
24歳の若者は、のびのびとした姿で多くの人々を興奮させ喜ばせます。その影にある人知れぬ努力を、我々プロは忘れてはなりません。そしてその努力を怠った人間が怠慢なプレーをすることを、同じプロとして許してはなりません。それは自らに対しても同じであり、それを自ら認識したときが引退の時と私は考えています。