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Weekly report

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 June Fourth week

  トヨタ自動車が、高齢者の起こす事故に対して一石を投じました。トヨタ自動車が販売した自動車について、後付けでアクセルの踏み違い防止などの装置を付けられるようにしたようです。現在は対象車種が限られていますが、今後この動きが拡大すれば、既に販売されている安全装置突き出ない自動車にもこういった装置が付けられることになります。「プリウスミサイル」と揶揄されている高齢者の事故ですが、このような装置の販売によって少しでも事故が減ることが期待されます。他自動車メーカーもこういった動きに追従してくれれば、高齢者の事故も少しは軽減できるかもしれません。

 自動車の安全装置は、スバルが開発したアイサイトが有名です。2000年頃に発売されたこの装置は当初は高価格でしたが、年々普及による増産効果で価格が下がりました。同時に技術は日進月歩で進み、現在ではさまざまな安全機能を確実発揮できるようになっています。自動車各社ともこういった安全装置開発の競争に入り、現在では発売される車のかなりの車種にこういった装置が当初から装備されています。機械は万能ではありませんが、何もない車とこういった装置の付いた車では事故率が確実に変わると思われます。

 思い出してみると、この一年だけでも無数の高齢者による事故が発生しました。もちろんその同数以上の事故がその他の年代のドライバーによって起きていることも事実ですが、高齢者事故は他の事故と違い本人の意識が異なります。多くの事故は運転者の過失によって起きますが、瞬間的にブレーキを踏んだりハンドルを切ったりととっさの操作が行われることが多いです。しかし高齢者の事故は、事故が発生しても回避動作が行えないことが多いですし、それによって大きな事故に繋がることが多いように思われます。反射神経の衰えや脳の情報処理速度に問題があるのでしょうが、それによって大きな被害が生まれてしまいます。

 若者はスピードの出し過ぎや無理な操作といった、自身の能力の過信から事故を起こします。中年は不注意からの事故が多いのでしょう。しかし高齢者は無理な速度で走るというよりも、むしろゆっくりすぎるぐらいゆっくり走るケースが多いと思います。しかし何かの不測事態が起きた場合、その状況の理解や判断が遅れる、あるいはできなくなるのが高齢者の特徴です。となれば、こういった安全装置が一番意味を持つのは、高齢者のように思います。

 現在の車の安全装置は、衝突や急加速、レーンの逸脱等に反応してくれます。最新の機種ですと、道路標識もきちんと認識しますから、技術的には一旦停止標識がある場所で自動的に停止することも可能だと思います。標識が読めるのであれば信号もと思いますが、現在のほとんどの機種で信号を読み取ることは技術的に可能なようです。しかしその実装を阻んでいるのは、国土交通省です。国土交通省は、信号が自動車に対して停止を命じるビーコン装置の開発を行っており、それを日本のデファクトにしたようです。つまりそこには膨大な権益があるため、決して自動車メーカーによる車の自律的な信号対応を認めようとしないのです。

 とはいえこのように事故が続く以上、高齢者に対する検査や免許の返上だけでは根本的な解決にはなりえません。だからこそ今回のトヨタの試行のように、道路を走るすべての車が、基本的に安全装置を搭載しなければ走行が出来ないようにすべきと思います。もちろん数十年前の旧車やスーパーカーなど、もともとそういった装置の搭載になじまない車があることも事実です。となると、そういった車のほうが例外のため、通常の免許ではなく特殊な運転を認める特別な運転免許証を配布すべきです。安全装置のない車を安全に走らせるためには技術が必要ですし、技術が必要である以上それに見合った技能を検定し合格した人間のみがそれらを運転できるようにすれば、そういった安全装置の搭載がない車と併存することが可能です。

 高齢者の問題をこれ以上放置しても、痛ましい事故は増えるばかりです。となると、とりあえずの一歩としてこのような後付けの装置の開発は非常に意味のあることと思います。そして今後はすべての車に安全装置を搭載し、旧型車には補助金や税制の優遇を図って安全装置を後付けで付けることができれば、今より少しだけ高齢者の事故を減らすことが出来ると思います。

 イノベーションを劇的に実施することは、本当に難しいと思います。しかしすべてを完全に変えられなくても、一歩一歩確実に変革を起こすことも、持続的イノベーションといえます。日々変革する世の中だからこそ、一つ一つの問題を諦めることなく考え続ければ、少しずつでも世の中をかえることができることを、私は信じたいと思います。