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Weekly report

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 September Fourth week

 いよいよ2020年の上半期が終了です。今年は新型コロナウイルスに翻弄される年となってしまいましたがが、国の発表によると新型コロナウイルス前の通常の状況に戻るには、あと1年半はかかるようです。しかし私にはこの数字も楽観的に思えますし、世界の人々が自由に世界を移動できるような本当の意味で当たり前に日常を取り戻すには5〜6年かかってしまうように思います。

 その間も医療機関や製薬会社は不断の努力が必要となるでしょうし、全世界の国民が長期間の不便を強いられます。軽挙妄動する大国は自国を危うくするでしょうし、一国のわがままで他国を侵害しようとする国も世界的な批判を浴びるでしょう。いずれにせよ世界は他の国の動きに敏感な反応を示す時代になったのでしょうし、不安定な世界にふたたび安定が訪れるまでまだまだ時間がかかりそうです。

 さて先日、久々の墓参りで大阪に赴きました。シルバーウィーク中の移動で心配しましたが、新幹線は混雑していたものの新型コロナ前の混雑とは桁違いであり、平日の日中程度の混雑でした。夏場は猛暑を誇る大阪もすっかり秋めいた気候であり、炎天下の墓参を覚悟していた私としては肩透かしのような気持ちのよい墓参となりました。しかしお供えを買おうと思い立ち寄った近鉄百貨店は、近年まれに見る混み方で新型コロナがどこかにいったかのような盛況ぶりでした。百貨店内の有名店の店舗には行列ができ、その間隔もソーシャルディスタンシングなど全く関係ない、といった状況であり、ここに感染者が一人いればまちがいなくクラスターになってしまうだろうと思わせる状況でした。

 墓参の帰りはいつものように、京都で少しだけのんびりしました。京都の町中も若者が多く混雑した風景が見られましたが、外国人の姿が全くないこと、ならびに中高年の姿が非常に少ないことが印象的でした。やはり中高年は新型コロナの感染リスクを念頭に移動しないのでしょうし、若者は自粛疲れからかGO TOキャンペーンかはわかりませんが、ホテルを含め若者が非常に多かったように思います。そのせいか、食事後の三軒目としてよく利用しているホテルの近所の立ち飲み屋に行列ができていたのは、本当に驚かされました。(安くてうまい上立ち飲みなので、最後にちょっと一杯には最高の店です。)

 最終日は例年通り錦で夕食の惣菜でも仕入れてと、ホテルから錦市場に向かいました。錦市場にも外国人の姿はなく、若者中心でそれなりの人出でした。漬物屋で漬物を仕入れ隣の惣菜屋をみると、シャッターが降りたままです。通常定休日ではない曜日だったので漬物屋で惣菜屋の状況を聞くと、なんと閉店!ということでした。思わず新型コロナの影響かと聞くと、昨年末で閉店したとのこと。京都の名店が、また一つ時代の流れで失われてしまったようでした。

 この店は惣菜の井上といって、135年の歴史を数える名店でした。当然私が子供の頃からあった店なのでしょうし、昔は近隣の夕食にならぶ惣菜を作っていた店だと思います。店頭のガラスウインドウには常時50〜60種類の惣菜が並んでおり、そこには子供の頃は嫌いだった京都のおばんざいが数多くならんでいました。齢50に近づいてからおばんざいを見直し、京都に訪れる際にはかならず数品を購入していましたが、その味が失われてしまったことは本当に残念です。私が好きだったのはグジ茄子や醤油豆、エリンギネギなどであり、ほかにも身欠きニシンの煮物や高菜炒め、てっぱい、鯛の子の煮付けなどもよく買っていました。どれも京都で子供の頃に食べた味であり、京都のおばんざいとしてどこにでもあるような味でした。

 しかしいまやおばんざいも高級料理であり、京のおばんざい屋に並ぶのはいわゆる京懐石の延長のような素敵でよそ行きな料理ばかりです。大皿に並んでそれを少し盛ってもらってという飲み屋は、本当に数少なくなってしまいましたし、惣菜として売っている店は本当に減ってしまったように思います。

 失われたものを取り戻すことはできません。そのレシピが残っていても、本当の味や作り方をしっているのは、そこにいた人だけです。私の子供の頃の舌の記憶を取り戻してくれる店はもはやありませんし、記憶さえ共有できる人もそこに住んでいた従兄弟だけになってしまいました。今でも食べたいと思うのは、寒い冬の街の商店街で買ってもらった焼き芋です。通常の石焼き芋と違い、サツマイモを厚切りにしてごま油で焼き、ごま塩をふったもので、京都の懐かしい味でした。今やおしゃれになってしまったその商店街にその焼き芋はありませんし、ほかの街でも見かけたことがありません。子供の舌の記憶ですから定かではありませんが、もう二度とお目にかかれない味なのでしょう。

 錦市場で起きていることは、日本中の商店街で起きていることなのでしょう。それでも外国のファストフードチェーンやセントラルキッチンで作られた画一的な味よりも、昔から続く味を残した街の方がずっと豊かに思えるのは、年齢のせいだけではないように私には思えます。

 惣菜の井上と、全国の失われる味に、合掌。