今年も残すところ、あと半月。新型コロナウイルスの感染拡大は止まりませんが、それでもいつもの日々が続き年末を迎えます。来年は今年よりずっとよい年であることを心から願いたいですが、新型コロナウイルスが収束するまでにはまだまだ長大な時間がかかりそうな気配です。
今年の正月には、まさかこのように伊豆熱川暮らしが長くなるとは想像もしていませんでした。例年3月は年度末で研修の仕事が減って暇になるのですが、4月に入ると新人研修で連日登壇していました。したがって3月は熱川で骨休めをし、4月から5月半ばまではほぼ熱川には向かえない、というのが例年のスケジュールでした。そのため畑の手入れや夏野菜の種まき、植え付けなどが遅れ、耕作放棄地のように荒れ地になった畑の開拓から夏野菜の栽培が始まる、というのが通例でした。
しかし今年は新型コロナの噂が広がった2月末には仕事のキャンセルが始まり、早々と熱川に引っ込むことになりました。新人研修はどうなるかと気をもんでいるうちに新人研修の見送りやキャンセルも発生し、4月以降のスケジュールが大幅に変わってしまいました。3月半ばにはWebによる研修の話が各社で始まり、熱川の海潜亭3階も、様々な設備を導入してスタジオ化せざるをえなくなりました。暫定的に、と準備したものの徐々に研修が本格化し、様々な機器不足のなか必要設備を充実し本格的なスタジオ化が始まりました。暫定的な机から本格的なデスクに入れ替え、照明設備やデジタイザーなど日々投資を行い、現在の運用になっています。
その陰で海潜亭のプレイルームもすっかり事務所化してしまい、気持ちとしては釈然としないものが未だに残ります。趣味のオモチャをたくさんおいていた棚もビジネス書中心の書棚に変わってしまい、置きたくなかった書籍がどんどん増えています。一応の抵抗として画面の片隅にさまざまなフィギュアや自動車模型を日替わりで置くようにしていますが、どのぐらいの方が気づいているかは大いに気になるところです。
一番悔しいのはスクリーンスペースがなくなってしまったため、プロジェクターにより映画が見れなくなってしまったことです。せっかく7.1チャンネルのサラウンド環境で120インチスクリーンによる映画鑑賞を可能にしていたのに、スクリーンを広げるスペースがスタジオ化で削られてしまったためテレビによる映画鑑賞しかできなくなってしまいました。この年末はもう一度スタジオ周りを少し整理し、少し別の形でまたスクリーンを広げられるように工事をするつもりです。
このようなわけで今年の3月から今まで、ほぼ熱川生活であり、これまでの相模原を中心とした首都圏通勤生活はすっかり変わってしまいました。新型コロナウイルスが終息すればモトの生活は戻るかといえば、正直私の年令を考えると難しくなってしまったように思います。いままでのように連日様々な会社に赴いて仕事をするだけの体力は失われてしまった気がしますし、熱川の田舎暮らしで変わったワークライフバランスを元に戻すことは不可能に近いと思っています。
ビジネスパーソンとしての私の現役生活は、このように終わりそうです。人生の大半を猛烈な速度で駆け抜けた結果が、こういう方で終わりに近づくとは思ってもいませんでしたが、これが私の現役人生の終わり方のようです。それでもこの日のために熱川に終の棲家を準備できていたのは、やはり私の尊敬する祖先のおかげなのでしょうか。